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2012/1 塾ジャーナルより一部抜粋

日本教育者セミナー 仙台大会
仙台、そして神戸の実体験から学ぶ
民間教育業界における震災復興への取り組み その現状と課題

  2011年11月16日(水)・17日(木)/於 TKPカンファレンスセンター(宮城県仙台市)  
     
 昨年3月、東日本を襲った大震災と放射能の脅威。日本教育者セミナーでは日本全体と民間教育全体の将来を見据え、今後どう対処すべきかをテーマに秋季セミナーを開催した。開催地は宮城県仙台市。今回の震災で被災した仙台進学プラザ、阪神淡路大震災を乗り越えた経験を持つ神戸市の久保田学園から貴重な提言がされた。

 会員企業が順番に幹事を務め、毎年春と秋に開催されている日本教育者セミナー。今回の開催事務局は岡村ゼミナール。最初に仙台進学プラザ代表取締役の阿部孝治氏が開会の挨拶を述べた後、日本教育者セミナーの岡村寛三郎理事長が挨拶をした。

 「本日は北海道から九州まで、日本の民間教育を代表する多くの方においでいただき、感謝しております。東日本大震災で、日本人は本当につらい体験をいたしました。東北の方々は忍耐と努力をもって、一途に復興に向けて頑張っておられます。我々被災地以外の人間もできる限りしっかりと応援できる体制、そして新しい民間教育業界をつくりたいと祈念し、この2日間のセミナーが、今後の取り組みに役立てばと思っております」

一日目
第一講座
「震災から学んだこと」
阿部 孝治氏 (株)仙台進学プラザグループ 代表

 皆さんに伝えたいことは3点です。まず1点。震災が起きても学習塾は強いということ。衣食住に並ぶほど『学び』は強いです。2点目は売り上げが2ヵ月間はなくなるということ。3点目は復興には社員の生活の支援も必要だということです。

 本校では社員は全員無事でしたが、高校生の生徒が1人、保護者の方も7人亡くなられました。特に塩釜と石巻の教室の被害が甚大で、塩釜の海岸通り教室では浸水した1階は使用できず、現在は2、3階のみを使用しています。石巻の末広町校は地盤沈下の影響と周囲の人口減少のため、撤退しました。

 教室を再開したのは3月25日。基幹教室のみで無料の勉強会を開きました。実は震災の翌日、小学生の生徒が来て、『勉強が続けられるよう塾を転校したい。お茶の水の教室を紹介してほしい』と言われました。ある高校生も『このままではセンター試験でハンディーが出てしまうから、勉強させてほしい』と言ってきました。

 そんな食べ物もない状況なのに、学ぼうとしている生徒がいたのです。しかも4月1日に他塾に先駆けて折り込みチラシを入れたところ、1日で200〜300件の反応がありました。それほど学びへの意欲は強かった。被災地の他業種のサービス業が大打撃を受けているのと比べると、本当にありがたいことと思いました。

3〜4ヵ月分の運営資金は
手元に持つべき

 震災後、宮城・福島ブロックの教室では、4月まで授業料を無料にしました。さらに社員には一律10万円を支給。『非常に助かった』という声を聞きましたが、当社ではアルバイト講師だけでも1,000人近くいます。講師への給与の振り込みもしなくてはなりません。それでも何とか塾を運営できたのは、手元に現金を持っていたからです。3〜4ヵ月分の運営資金を手元に持っている塾は少ないと思いますが、たとえ借入があっても、現金は持つべきです。そうすれば、何かしたいときに即決できますし、銀行はすぐにはお金を貸してくれません。

 教室展開においても、分散させるか、ドミナント展開するか、よく考えたほうがいいと思います。事故や震災の被害は一地域に集中します。当グループの宮城地区の売り上げは全体の4割でした。地震は必ず来るから、他地域にも教室を広げておいたほうがいいと言っていたことが、今回、本当になったのです。

 当社では3月10日以来、授業料の口座振替を行っておらず、4月下旬から5月の振替で90%以上取れないと、非常に厳しい状況にありました。しかし、実際には振替済率は91.3%と、前年の89.4%を上回りました。今のところ、震災による授業料徴収の悪化はありません。

積極的に勉強に取り組む
生徒を応援したい

 私は震災当日、金沢にいました。県外にいたことが功を奏し、急遽600kgの米を手配して炊き出しを行い、300個程度のおにぎりを約10日間、各拠点の教室に届けました。その時感じたのは、思っているほど、社員は動けないことでした。誰かが何かをしてくれることが当たり前で、口を開けて待っている。若い社員ほどその傾向が強く、お礼も言いませんね。非常時には、会社が社員に現品や現金を提供しないといけないことがわかりました。

 今回の震災では、お金のあるなしが顕在化し、二極化の様相を呈したと感じています。経済力のある人はすぐ他県に避難したようですが、それができない家庭もあります。当社では2、3年前から方針を「積極的に勉強する子どもを応援する」に変えていますが、震災後、各地で「もう子どもしか未来を託せるものがない」「お金のかかる学校には行かせられない」と言った声を多く聞きました。これからは自ら勉強する生徒を応援する。集団授業を中心に、生徒を引っ張っていける指導をしていきたいと考えています。

第二講座
「国際化時代の人材育成教育」
龍澤 正美氏 (株)エムシーエス生涯学習センター 理事長

 私どものグループに「盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科」があります。震災の2日後、何も言わずに、中国人留学生の半分がいなくなりました。残りの中国人学生も次の日、早朝のバスで成田と新潟に向かい、帰国しました。入国管理局にも連絡がいかなかったと聞いています。「そんな勝手に出ていく国があるのか」と驚きました。

 以前、イランに取り残された日本人を脱出させるため、日本政府の代わりにトルコ政府が動き、トルコ航空機で救出したことがありましたね。自国民の危機に対応が遅れたことで、日本政府を非難する声があがりましたが、そう考えると、中国政府の対応は妥当かもしれません。今は国際的な情報がないと、我が身に危難が及んだとき、どうしたらよいか判断できないものだ、と痛感しました。

 私どもの盛岡中央高等高校では、毎年海外の姉妹校から生徒を招き、国際教育フォーラムを開催しています。お付き合いが長い上海の姉妹校は「今、私たちが日本に行かなければ『やっぱり日本は危ない』と皆が思う」と、このフォーラムに参加してくれました。お互いの心が通じていれば、お国柄はあるものの、思いは通じ合えるようです。

留学生はラッキー
復興の現場に立ち会える

 以前、私がベトナムの姉妹校を訪れた時、この国の英語教育は日本よりはるかに進んでいることを目の当たりにしました。その学校から歴史の先生が、今回来日してくださったのですが、私に抱きついて泣くのです。「日本の社会科の授業では何でも教えられる。ベトナムでは与えられた教科書以外の事柄は教えることはできない。私はこういう教育がしたかった。日本に来て良かった」と。

 私たちの日本語学校にもベトナムの留学生が入学します。今は円高で、来日するのは多額のお金がかかります。それでも学生たちは「日本語を修得して大学に行く」「日本に関する職業に就く」と強い目的を持っています。明確なゴールを設定しているのです。今の日本には「今が良ければいい」と考える若者が増えています。このまま日本の若者に勉強をさせなかったらどうなるかと、真剣に考えました。

 日本語学校の入学式では、在校生が新入生に対して、歓迎の言葉を述べます。来日して1年というベトナムの女学生が、素晴らしい挨拶をしてくれたので、紹介したいと思います。

 「私は先日、宮古市にボランティアに行きました。街には瓦礫が残っていて恐ろしく、盛岡に帰るまで気が重かったです。しかし、宮古で会った方の笑顔を見た時、日本は復興すると思いました。新入生の皆さんはとてもラッキーです。なぜなら復興という、常時では学べないことが学べるからです。震災後、私は一時帰国しました。家族は戻らないでほしいと泣きましたが、私は日本がどのように復興するのか学べるチャンスだと両親を説得しました。この盛岡での日々が、皆さんの一生の財産になると思います。また、皆さんは自分の夢は何か、自分に問いかけたことはありますか。なかったらぜひやってください。夢は勇気を生み、勇気は困難を乗り越えさせてくれます。勇気は人間を強くするのです」

第三講座
「叱り方の極意」
池上 公介氏 学校法人池上学園 理事長

 私は当初、英語のエリート教育を目指し、「池上イングリッシュクラブ」を開設しました。ところがある時、予備校が倒産し、高校に行けない中学浪人生がいることを知り、「こんな世界があったなんて」とショックを受け、85年に中学浪人生予備校「池上学院」を開設しました。しかし、1〜2年すると、私がかわいそうだと思っていた生徒は、一流校を落ちた生徒だったことに気付きました。そして、実は、普通の高校にすらも行けない生徒がいることに気付いたのです。

 ガン病棟から抜けて、私のところに進学相談に来られたお母さんがいました。母子家庭で、中学生の男の子をおばあさんに預けて育てていました。その子が全校でビリになってしまったというのです。北海道では成績をA〜Dといったアルファベットで示します。オール3はGです。Hが最低ランクで高校には入れない。その子はなんとMランク。KMLは俗に「オランダ航空」と呼ばれ、学校の先生はもう諦めてしまうランクでした。

 高校の三次募集にも落ちた時、病院のベッド脇で「お母さんは真面目にやればなんとかなるといったけれど、何もわからない授業を受け続けるつらさはわからないだろう」と初めてワンワン泣いたそうです。それを見たお母さんが、病をおして相談にやってきた。その時私は、母の愛の強さに圧倒されました。

 私はその子を学院に迎え入れました。その子はなんと英語の「RACE」が読めませんでした。ここからが戦いです。私は彼がどんなに簡単なことでもできると「素晴らしい」と全身で褒めました。その生徒を認め、思いっきり褒めてあげるからこそ、叱ることができる。人は潜在能力を持っている。それを引き出すのが、本当の教育者だと思っています。

 ある時、帯広から「帯広一の女番長」と言われた女の子がやってきました。家業の居酒屋が忙しくて、両親は夜、家にいない。中学生になってからシンナー、タバコ、恐喝もしたそうです。しかし、この生徒には知性が感じられました。煌めくものが見えたのです。私はそれをずっと褒め続けました。やがて成績が伸びていき、見事高校にも合格。そして今、彼女は高校の教師をしています。

その子の一番よいところを
見つけて褒める

 私はインタビューでよく「どうして生徒を立ち直らせることができるのですか」と聞かれます。私は「秘訣はありません」と答えます。どの生徒でも、私は最初にその子の一番いいところが目に入るのです。そして、それを口に出して褒めます。子どもは褒めてもらった人のことが大好きになります。思いっきり褒めるからこそ、叱れるのです。

 幼稚園の園長先生が、4歳の子どもの髪の毛を茶髪にしてきたお母さんを「子どもはあなたのおもちゃではありません」と思いっきり叱ったそうです。反発したお母さんは次の日、その子を金髪にしてしまいました。

 私だったら、最初にその子のよい部分を見つけて褒めます。そして褒めた後に「お母さん、知っていますか。ヘアカラーに含まれる化学物質は体内に溜まり、生殖器に影響を与えるそうですよ」と伝えます。褒めてから論理的に話をする。すると心は閉じないのです。まずは認めることから始めること。これが叱り方の極意だと思います。

二日目
第四講座
「神戸震災時の体験より」
久保田 勤氏 久保田学園 代表

 東日本大震災の津波を見た瞬間、「ああ、あれが神戸では火災だった」と思い出しました。神戸の地震は朝で、家族が一緒にいる時間帯でしたが、東日本大震災は昼間。「これは家族がバラバラになる」とも思いました。

 私は震災の前日まで、学生と一緒にニセコにスキーに行っていました。胸騒ぎがしたのでしょうか。予定より早く帰りました。その夜は酔って寝たので、地震が来た時も「アレ、飲みすぎたのかな」と思ったくらい。ところがゴーッと地鳴りが聞こえて、大きな揺れが来た。バタバタと家が倒れ、火があがってきました。当時、六甲山の裏側に引っ越したところで、以前住んでいた場所にいたら、我が家は全焼でした。

 様子を見ようと自動車で街に出ようと思っても、渋滞で車は動きません。仕方がないので、自転車で六甲山に登り、長田区方面を見下ろしました。煙が何本もあがり、消防署の機能がストップしているのか、消防車のサイレンも聞こえません。静かにメラメラと炎が燃えている。「これが神戸の街なのか」と動けず、涙が出てきました。

 この時、実感したのは、震災が起きた場合、個人の力では何もできないということです。消防も警察も来ません。助けにくることができない状況でした。少なくても2〜3週間、自分たちでどう生きるかを考えておかないといけないと痛感しました。

震災で社員の人生に責任感
人のつながりの力で再開

 実は、震災前に新しい教室のために物件を買い、年末に支払いを済ませていました。12月31日に鏡餅を飾りましたが、これが1月17日につぶれたわけです。

 神戸の震災では、家屋や家具の倒壊で亡くなった方が多くいました。一度挟まれると、重みでなかなか抜けることができません。そこに火が迫ってくる状況でした。講師のお父さんも下敷きになり、近所の人も集まって、何とか救助しようとしました。しかし、火の手がすぐそこまで回ってきている。お父さんは「もう私のことはいい。お前たちは逃げて生きろ」と言ったそうです。その話を聞いて、教室がつぶれてがっかりしていたことが恥ずかしくなりました。結局、震災で卒業生を含む、7人の関係者が亡くなりました。

 教室は、1ヵ所は全壊しましたが、2ヵ所が無事でした。昼間は子どもたちに開放して、勉強をさせました。夜は1ヵ月間ほど、水とおにぎりを配ることもしました。そんな時、県外ナンバーの車が支援物資を運んできてくれるのを見ると、本当に嬉しかったですね。子どもたちのために何かやろうと、町内の人も交えて、餅つき大会をやったりもしました。

 結局、半年近く月謝がもらえないこともあり、塾の存続は無理だと考えていました。ところが、「塾長! やりましょうよ」と言ってくれた講師がいました。お父さんを亡くしたあの講師です。私は「この人たちの人生に、私は責任を負っている」と感じました。経営者として、会社の責任者としての勉強をしなくてはと思っていたところ、岡村先生に「日本教育者セミナー」に誘っていただいたのです。

 大震災のような災害が起こると、一人では教室を立て直すことはできません。最後は卒業生、保護者等、関係者が支援してくれたからこそ、再開できました。お金の問題も大切ですが、最後は人の支援が一番大きい。人のつながりの力が、震災時に発揮されたことを感じました。この時から神戸が復興できたように、日本人の力を結集すれば、東北も復興できると信じています。

第五講座
「震災後の全国の民間教育業界の現状と展望」
小林 弘典氏 PS・コンサルティング・システム 代表

 震災直後の塾の状況(被災地を除く)を見ると、ほとんどの塾が数日間休講し、振替は行わず、もしくは春期講習で対応したようです。募集状況については、大手はすでに募集活動が終わっていたため、さほど影響はありませんでした。中小(特に関東)においては、3月半ばが募集のピークとなるので、その後、チラシを数万枚まいても反応がゼロだったところもあったようです。大手と中小の格差がはっきり出た形になりました。

 5月末の時点では、大手塾では5%、中小では15%ほど、本来入塾しているべき生徒が入ってきていない状況でした。現在は通常の状態に戻っていると思われます。

 震災は塾業界にどのような影響を与えたのでしょうか。学習塾の1教場当たりの塾生数を見てみると、10年度は子ども手当の影響で、前年同月比がずっと増え続けていました。しかし、11年は7月に入ってから−5.35%(7月)、−4.88%(8月)とガクンとマイナスに転じました。

 しかし、上場塾の11年の売り上げは、前年比102.5%とプラスになっています。大手は規模の大きさが安心感を生み、集客に成功したことが影響していると思われます。完全に大手が有利になったのでしょう。

 塾にとっては、直接の被災地を除いて、致命的な影響はなかったものの、塾を取り巻く大きな流れを加速させたことは間違いないと思います。

第六講座
「ゆとり教育と学力問題:その後の推移と40年前の学力比較」
筒井 勝美氏 英進館(株) 会長・館長

 1980年初頭から始まった「ゆとり教育」の結果、日本はどうなっていくのでしょうか。

 1992年から1998年にかけて、中2生の家での勉強時間の変化を調べた結果があります。92年では「全然しない」は27.3%、98年には43.2%。わずか6年でこんなにも増えています。加えて「3時間以上」は92年で14.4%、98年は5.4%。3分の1にまで減ってしまいました。コツコツ粘り強く勉強し、励まし、褒めた結果、学力がつくのに、ゆとり教育は最初から内容を削り、子どもたちの学ぶ機会をなくした結果と言えるでしょう。

 母親の学歴と子どもの学校外での学習時間を比較した貴重なデータがあります。1979年には、中卒の母親を持つ子どもは86.5分。大卒では123.2分です。ところが、1997年になると、中卒の母親の子どもは27.4分と激減します。大卒は106.3分と大きな差はありません。昔の母親は中卒であっても、子どもに勉強させようと意識が高かったのでしょう。

 私はゆとり教育で育ってきた子どもたち、競争を知らず、ぬるま湯育ちの自分に甘い人間が、自分の経験則に従って、子育てをすることに危惧を感じています。これは「教育の負の連鎖」です。これを何とかしない限り、日本は10年ももたない。這い上がったとしても、もう世界のトップにはなれないのではないと考えています。

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