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中学・高校受験:学びネット

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2008/1 塾ジャーナルより一部抜粋

8人の多角的提言

  教育改革が叫ばれている中で、民間教育機関としての学習塾が何をなすべきか。
学習塾と学校の“共存”というより“競争”でしかないのか!
8人のプロフェッショナルが提言する。
 
 
 

“ 先生が共存すればいいSF風自己判断的センセイづくり ”

水野順右
東京生まれ。1958(昭和33)年、学習院大学仏文卒。同年、毎日新聞東京本社入社。社会部副部長、夕刊編集長、編集委員。その間、TBSテレビで「テレポート6」「おはようクジラ」などのコメンテーターを務める。現在、毎日文化センター、毎日新聞カルチャーシティなどで文章添削、エッセイ教室などの講師。

『バック・トゥー・ザ・フューチャー』

自慢じゃないが、小生、わが国の未来を救った。あゝ「未来」がオーバーだというのなら、「将来」でもいいですよ。つまり、過去の話ではなく、現在以降の日本社会を救った、ということなのですから。あれ「救う」もオーバーですか。なら「壊さなかった」にしときましょう。と、いささか威張って書き始めたので、自称も“小生”なんて謙譲語ではなく、吾輩といきたいところですけれど、ワガハイでは漱石の猫みたいなのでやめときました。しかしこうして日本の未来やら将来やらを、「救うの壊さないの」など書いていると、なにやらSFみたいな感じがしてきました。「過去に工夫をして、その未来たる現代を変えてしまう」という、一種のシチュエーション・ノーベルは、SF小説に結構あります。

たとえば、「ヒトラー対策」テーマというのがあったりする。この独裁者の過去を変えてしまおうというストーリーで、その両親とか祖先あるいは幼き日の本人自身を「なんとか」して、第二次大戦の悲劇を「起こさせないよう」にするスタイル。ヒトラーばかりでなく、その他、史上名高き征服者や暴君を対象にした物語がいくつかあります。

そんな世界史的大規模モノではない、可愛らしいお話もありますよ。ハリウッド映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を見た方も多いでしょう。一人の少年がマッド・サイエンティスト発明のタイム自動車に乗って過去へ“戻り”、若い頃は弱ムシだった自分のパパをヒーローにしちゃうお話で、なかなか抱腹かつ痛快なる映画でした。

もうおわかりでしょう。このように過去を「変える」ためには、現代人がその時代にバックしなければなりません。いわゆる「タイム・トラベル(時間旅行)」が必要になるのですが、そのアイデアはSFの祖ともいわれるH・G・ウエルズ作の『タイム・マシン』が最初でした。

このように、SFでは度々登場しますが、もしタイム・トラベルが実際にできるとしたらどうでしょうか。つまり、誰でもが「過去に戻れる」としたら、こりゃ素敵じゃありませんか。そして現実に「バック・トゥー・ザ・フューチャーができる」としたら、さあ、どうします、か?

たとえば「今の連れ合いと連れ合う前の青春時代」。「今年のダービーの発走前」。そして「入試の前日」などなどといろいろおありでしょうが、そんな「自分の過去を訂正したい」欲ばかりじゃないでしょう。「昔の出来事をこの目で見たい」知識欲もおありのはずですよね。だから、映画・テレビでも時代劇が盛んなのですが、では、一体みなさんは何を「見たい」のでしょうか。

もしタイム・マシンがあったら「行ってみたい時と場所」という、いわゆる「時間観光旅行スポット」におけるナンバー・ワンは「何時の何処」だと思います。そりゃ人によってさまざまでしょう。たとえば小生ならば「小野小町嬢に会いたい」の単純でありますが、かつて欧米のどこやらで行われたアンケート調査の結果をそく聞したところによりますと、「その時、そこに居たい」第一位は「西暦30年(頃)のある日ある時」ですが、場所はイスラエルの近郊にあるゴルゴダの丘だそうです。ええ、イエス・キリストが十字架に「かけられた」シーンです。これはしかし、なるほどなァって気がします。なんといってもスーパー・スポットです。

「先生になるのは簡単だァ」でも、しかし

いやどうも、長々と勝手なこと、特集のテーマたる『塾と学校・共存共栄の可能性』とは、あんまり関係ないような駄文をろうしまして、なんか申し訳ありません。いや本論はこれからです。というところで、書き出しにバック・トゥーさせて頂いて、小生が「わが国の未来(将来)を救った(壊さなかった)」実話をさせて頂きます。

どうして小生に「そういうことが可能だった」のか。それはけっしてSF風に「過去に戻って」その上で現実に「手を加えた」のではありません。実際にタイム・トラベルはできません。ということは、それはリアルなる「過去の行為」によるものなのです。

というところで、突然ですが、日本で学校の先生になるには「どうすればいいか」を考えて見ましょう。まァ、ひとくちに「先生」といってもいろいろあります。

小生の友人が一人、大学の先生になりました。ちょっと昔のことですが、それも、わが国最高峰の某国立大学講師にです。彼の出身はある私大のしかも第2部つまり夜間でしたが、ジャーナリストとして著名になってから任じられたのです。その時、彼はこう“うそぶき”ました。「大学に入るのは大変だが、センセイになるのは簡単だァ」。これ聞いて小生カッときましたねェ。というのも、こちら東大を3回落ちた二浪の身でしたから。

オットそうです。もしバック・トゥー・ザ・フューチャーできるものならわたくし、わが第一回目の東大入試日に戻りたいなァ。なんてったって、問題みんな知ってるんだもン、です。いやスミマセン、ついついグチがでちゃって。

さて、ここで「先生になる」とはもちろん大学の教授・講師ではない。小中学校です。そのシステムをくわしくは知りませんが、当然、「資格をとる」必要があるはずです。それは本誌の読者方がくわしいでしょうから触れませんが、実はもう半世紀も昔のこと。小生にもそのチャンスがあったのです。

大学は私立の文学部でしたが、たしか3年の専門課程になった時だったと思います。あと二つほど科目を受講すれば、教職員資格を“頂ける”ということを知ったのです。で、その時小生、「考え」ました。珍しく。なにせ、なんの志向も思慮もなく、無分別の無鉄砲で、ムムムム…と生きた男なんです。子ども時分から母親によく言われたものです。「あんた、すこしは考えてからやんなさいよ」とね。

それがその時は「考えた」のです。じっくりと。で、「うーむ、先生になるのもいいかもなァ」と傾きました。そういえば、これより後の時代ですが、「デモ・シカ先生」という言葉が出回りましたっけ。これは、「先生にでも、なろう」と「先生にしか、なれない」という、先生族をヤユした流行語でしたが、小生まさに「先生でも、やろうか」と思案したんです。ただ、そのあとには「しか」ではなく「かも」とつづきましたねェ。「それもいい、かもなァ」と。なんとも頼りない「デモ・カモ」センセイの誕生、となるところでしたが、とたんにパッと天啓が一発ひらめいた、のです。

それがまた不思議なことに「でも・しか」スタイルでした。ただし「しか」の下に、もう一つ「し」がついているのです。だから「でも・しかし」です。そのひらめきとは「でもしかし、俺が教師になったら、こりゃどうなるのだろうか」という問い、だったのです。そしてついでに、いろいろなシーンが走馬灯のように走りました。その「問い」を聞きシーンを眺めて、一晩も「考え」た結論は「俺が教師になったら、こりゃいかん」でした。今、分析するなら「日本がダメになるから」です。

自分で自分を「お馬鹿でダメな人」とは、いいたくありませんが、しかしどうひいきめに見ても、ですねェ、「以下略」というわけにはいきませんから並べます。

「知識がない。知恵が足りない。勉強しない。学ぶ意欲がない。向上心がない」の、ないない尽くし。性格も「サボる、遊ぶ、やらない」が大好きで、おまけに「道徳キライ、快楽スキ」のエトセトラにしてあれやこれや。

「こりゃダメだァ」と自分で悟ったわけでして、出した結論は「もし俺が先生になったら、それらが生徒にうつり広まり、やがて蔓延して、日本全国総伝染。それじゃ青少年がどうなるのかわかりゃしないし。ひいてはお国が危ないゾ」。

ズバリ、問題は先生の資質にあり

とて、教職課程受講はご遠慮申し上げ、卒業後は社会にあまり悪影響を及ぼさない新聞記者になったのであります。これぞ「小生が日本の未来(将来)を救った、壊さなかった」所以であります。あゝここでまた小生の不勉強ぶりをあげつらうならば、このユエン(所以)の字を今、電子辞典でひいたぐらいなのです。

さァて、おわかりになりましたでしょうか。小生が日本を「ダメにしなかった」心意気が。そうです。ここで『塾と学校・共存共栄への提言』をばいたしましょう。ズバリ、問題は「先生にあり」です。それもその資質に、です。いやここで考えて頂きたいのは、「資質」そのものを「見出す」方法です。

現在もそれなりの方法はあるでしょう。学校はいうまでもなく、教員課程を学ばせ選抜試験もおやりでしょう。塾だって一見「誰でもなれる」ようで、「そうでもない」と思います。誰かが選別されるわけで、それなりにシビアな目があるはずです。個人塾はどうか、当然、生徒の側が選択するでしょう。見限られたら来なくなる。

そんな「いろいろ」があって、先生群が存在している。だがしかし、ちょっと待て、です。人間を選ぶのに他の人間が対処するのは当然ですが、なんといっても「人を選ぶに、その人こそ最適」なはずです。己(おのれ)こそ己を知っているのですから。

ということは、塾も学校も「先生になる、ならぬ」は本人の自覚にまかせて、選抜試験なんか一切行わないのが良案。だから「先生になれる」と自分で判断した若者は、塾だろうと学校だろうと、己が「正しい」と思った方にいけばよろしい。それでこそ“共栄”の道なのです。むろん小生の如く「俺はダメ」と知った人間は、どちらにもいかず、そしてそれもまた「お国の将来のため」であります。

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