中3生の卒業論文
ある私学から中学生の卒業論文集が送られてきた。中3生全員のものが掲載されている分厚いものである。最初の方に優秀賞をもらった作品が載っている。その一つに、「生活に溶け込むコンビニエンス・ストアを考える」というものがあった。
私自身、コンビニは毎日のように利用しているので、関心があって読んでみた。読みやすく、おもしろかった。何より、日頃から漠然と思っていたことが、この卒論を読んだことで頭の中で整理された。
この卒論では、コンビニの抱えるさまざまな問題点(コンビニ食の人体への影響、「賞味期限」切れで廃棄される膨大なゴミの量、24時間営業にともなう労働問題、商品を頻繁に入れ替えるための物流による二酸化炭素排出など)も指摘されている。がここでは、そうしたことには踏み込まず、「ビジネスとしてのコンビニ経営から塾を考える」という視点で話を進めてみたい(普通は対比として設定することなどありえない関係だから、逆に発見することもあるのではないかと思う)。
また、この卒論に触発されて、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文CEOの書かれたものにまで手を出してみた。卒論と鈴木敏文CEOの著作から得られたことを私なりに整理してみよう。
コンビニの特性は文字通り「便利性」
最初にコンビニの特性を整理してみる。コンビニは、言うまでもなく「コンビニエンス・ストア」の略である。「コンビニエンス」つまり「便利性」を追求した店である。その「便利性」とはどこにあるのか。
- 24時間365日営業という「時間的便利性」
- 家の近く、オフィスの近く、通勤・通学途中の道筋にあるという「空間的便利性」
- 調理する必要がなくすぐ食べられる食品、急に必要になりがちな日用品といった「商品的便利性」
- 気楽に入れる、待たされないという「購買行動面での便利性」
- 銀行振込み、宅配便の受け付け、チケットの予約といった各種サービスが1箇所で済むという、待たされる銀行や遠方のチケット売り場に出向かなくていいという「サービス面での便利性」
といったことが挙げられるであろう。
(1)都合のいい時間帯に学べる、(2)学校・稽古事の帰りに寄れる、(3)間近に迫った定期試験・検定対策にも対応、(4)明るく清潔で安全な教室 といったように考えれば、塾の「便利性」もある部分コンビニと共通しているのではないか。
「狭さという制約」がコンビニを性格づける
「便利性」以外の特性で最大のものといえば言うまでもなく店舗の狭さである。この「狭い」という特性から、さまざまなコンビニならではのビジネス上の工夫が生まれている。
その最たるものが、「単品管理」というビジネスモデルである。「単品管理」とは「商品毎に売れ筋と死に筋をタイムリーに把握し、発注精度を高めること」である。狭いという制約があるがゆえに、「『死に筋』(売れないもの)を置いておくわけにはいかない、狭い店舗で少しでも売上を伸ばすためには『売れ筋』を切らすわけにもいかないということである。少し付け加えるならば、鈴木CEOはこんなことを言っている。「『完売』は『売り手の満足=客の不満足』である」。
私のオフィスの近くには2軒のセブンイレブンと1軒のファミリーマートと有名チェーンでない1軒の店があり、そのときそのときの行動方向で使い分けている。私がいちばん驚いていることは、セブンイレブンでは2軒とも店員はすべて中国人であることだ(経営者夫婦を除く)。それがあの多種多様で複雑なサービス業務までこなしているのである(寿司をレジに持っていったら、「温めますか」と言われたことがあるが)。仕事のマニュアル化がものすごく徹底している(有力大手塾のマニュアル化もスゴイ)。
話が少し横にずれたが、コンビニのもう一つの重要な特性の一つに、置かれている商品は店によってそんなに違わないということがある。飲料類はチェーンが違ってもどこでもほぼ共通。食べ物は仕入先こそ違うが(もちろんチェーンが同じなら一緒である)、お弁当・おむすび・パンといったようにジャンル的には共通している。値段もそれほど差はない。つまり他の小売業態と決定的に違うのが、「価格競争の比重が低い」ということである。
一方塾は、先生方はすでに実感しておられるだろうが、このところ塾に通わせられない、通わせられても中3の2学期からという家庭が急増している。その反対に極めて高月謝の塾も存在する。塾はコンビニとは対照的に「価格競争の比重が高い」世界である。
また、コンビニは日本語がたどたどしい中国人ですむことでもわかるように、客への対応が商売の雌雄を決する一般の小売業態からすると、この点でも特殊である。私がそうであるように、このコンビニでなければならないというこだわりは少ない。
この点でも塾はコンビニとはまったく違う。対応がまずければ授業の質がよくてもすぐに退塾してしまう。
塾における制約は「時間」
コンビニは時々刻々のデータから顧客のニーズをつかんでいる。それは、「過去の顧客のデータから明日の顧客のニーズを探る」作業であり、「商品の売れ行き動向だけでなく、その背後の心理を読み解く」作業でもある。
塾も、顧客(塾生・保護者)に日々接している。そうした中で塾生・保護者から発せられた言葉に注目しているであろうか。これらこそ塾生・保護者のニーズを掴み取る最適な材料ではないのか。同じ商品の並ぶコンビニですら、立地が違えばニーズが異なるのである。ましてそれぞれに立地も塾生の学力レベルもさまざまな塾においては、塾ごとに塾生・保護者のニーズは大きく異なるはずである。受験状況全体の動向でなく、自塾ならではのニーズを的確に捕まえないことには、「明日の顧客」は捕まえられないのではないだろうか。
次に、コンビニにおける「狭さという制約」は、塾においては何かという具合に考えてみた。塾における制約と言えば「時間」ではないだろうか。難関校狙いの進学塾でなければ通塾は週2回か3回が普通であろう。与えられている時間は10時間も20時間もあるわけではない。限られた時間をどう有効に使うのかが塾における重要課題なのである。週わずか1桁の時間なのであるから、「死に筋」の授業があっていいわけはない。
コンビニを通して見える大手塾と個人塾の違い
では、個人塾の「売れ筋」とは何か。最近の大手塾は、明るい教室、安全な通学路、親切な顧客対応、授業の品質保証、クレーム対応……といった面で企業化がものすごく進んでいる。個人塾が同じ土俵で争っても勝ち目はない。
が、大手塾がこうした企業化を進めざるをえない背景には、正社員・講師が若年であり、経験不足であるという弱点が隠れているのである。一人ひとりの中に長期にわたる指導経験の蓄積がない。そのために塾生一人ひとりに即した指導ができない、自分自身の経験、言葉では導いていけないのである。
このように考えれば、個人塾は逆に、先生が自分の経験をフルに生かすこと、自分自身の言葉で語ることこそが「売れ筋」なのである。大手塾の若手が伝えられない、子どもの教育に携わることについての「熱い思い」、多くの子どものその後の成長を見てきた経験からの「真摯なアドバイス」、わが子に埋没しがちな親への「広い視野からのアドバイス」…そうしたものこそが財産なのである。
大手塾のチラシのように数字で塾生を獲得するのではなく、自分がこれまで培ってきた「財産」でこそ勝負したい。
こう見てくると、コンビニと大手塾は類似性が高く、個人塾はその対極にあることがわかる。ごくごく簡単なリポートであるが、コンビニを考えることによって、逆に個人塾の特性が明らかになったということで報告させていただいた。 |