同志社人が持つべき
三つの力が思想性高める
京都市左京区、国立京都国際会館に隣接する同志社岩倉キャンパスに中学校と高等学校が揃って1年。比叡山を仰ぐ緑豊かな10万平方メートルの敷地に、最新鋭の設備、洗練された文化施設、厳かな空気漂うチャペルなどが配置されている。レンガを積み上げた校舎群と周辺の緑が、ひときわ鮮やかなコンビネーションを生み、訪れる者の目を奪っている。
今年、創立136年目を迎える同志社も、これほどのキャンパスで新たなスタートを切ったことは大きな節目に違いなく、さぞ、立地や設備による教育実践上の新展開を聴けるものと期待した。が、木村良己校長の口から、「ハコモノ自慢」は出てこなかった。熱を込めて語るのは、ハード面ではなく、普段にも増してソフト面についてであった。校祖、新島襄が提唱した「良心教育」をこれまでどう行ってきたか。今という時代における実践はいかなるものか。そのために、何をすべきか。同志社の教育理念を語るに尽きるのであった。
同志社今出川キャンパスから中学校が移転し、「部活動の面では中高が相互に影響し合う利点が見られるようになり、中高の教師が連携協力しやすくなった。が、1年でこんなに変わりましたというようなものはない」ときっぱり。たしかに、立地や充実した施設は物質的満足度を高めてくれるという点で、それ自体価値を有するが、同志社の理念教育を大きく左右するほどではないようだ。このことは元来、同志社諸学校が同志社人として一貫した思想性のもとに教育実践を行ってきたことを示すものといるだろう。
「豊かな人間性」「優れた学問性」「違いを認め合える共生力」。これら3つの力を生徒に、そして教員自らも備えんと歩む中、同志社ブランドは築かれ継承されてきた。「もちろん、時代に沿って理念の表し方の濃淡はあるが、根本でブレることはない」と木村校長。
岩倉キャンパスにはっきりとした進化の跡が見えるのは、校風として培われてきた「小さな試行錯誤」を繰り返した後のことなのだろう。
試行錯誤できる環境
生徒にも、教員にも
一般に、中高一貫教育といえば、ともすれば効率的な先取り学習を進めるうえで不可欠な仕組みと理解されている面が否めない。大学受験を強く意識するあまり、志望大学合格に照準を合わせたカリキュラムが組まれ、早い段階で進路、進学先の決定を促す傾向も見られる。
だが、木村校長は「中学、高校の段階で進路が決まらない生徒は少なくないし、むしろ大学卒業後に進路を試行錯誤したとしても、それが積極的選択ならいいのでは」と、余裕のない中高時代を過ごす子どもたちには、救いの言葉にも聞こえる発言をする。
続けて「いい点数を取ると安心できる環境というのはここにはない。学ぶほど、探究するほど、分からないことが増えていくのだということを知る環境があるだけ」とも。その言葉には、迷っていい、迷いながら自ら人生を選びとって生きてゆけという同志社人の思いが込められている。コース制を採らず、必修と選択教科によって、生徒が時間割を創っていくスタイルも、進路選択に柔軟性を持たせるためだ。
試行錯誤の気質は教員にも見られる。ここ1〜2年、新学習指導要領をもとにした新しいカリキュラム編成で、侃侃諤諤なる議論が繰り広げられたという。ところが、出来上がった内容を見るとそう大きくは変わっていなかった。これは様々な持ち味の教員が、同志社人として生徒に提供すべき学び方において、同じ方向を目指し、行き着くべきところに行き着いた結果ともいえる。 |
時間を短縮させ、暗記させる指導は最も効率的だ。が、教員はグループで研究すること、結果をまとめるという手間暇かけた学習スタイルを高1まで入念に行うカリキュラムを選択している。ずっと後の人生で、そうした学習経験が役立つことを知っているからだ。また、教科の独自性をより特化したカリキュラムとする「教科センター方式」は、同志社中学校の特色ある教科指導法だ。「早く」ではなく、「深く」学ぶ仕組みの一つである。
卒業生のうち、高校の推薦基準を満たせば同志社大学への進学がほぼ決まるとされるが、その割合は85パーセント程度だ。残る15%の生徒は、国公立大学、また医・歯・薬・農・建築などの学部を目指して、他大学への進学を志す。
良心の全身に充満したる
丈夫に近づく
最近、木村校長は生徒から「これまでの人生でどの年代が楽しかった?」と訊かれ、次のように答えたという。「どの年代にも楽しさはあり、しんどさもある。高い志を持ちながら、当面の目標、たとえば1カ月先、1週間先の楽しみを見つけて今を生きれば、晴れやかな希望を携えて生きることができる」と。
小さな同志社人から発せられた問いと、ベテランの同志社人が返したやりとりの中に、この学校の朗らかさが顕れている。志しが高いほど、いつまでたっても迷い、試行錯誤を繰り返すものだが、自ら選びとった道には小さな幸せもまた巡ってくるのも確かなことである。それに気づける心の豊かさを持ったとき、生徒たちは一歩ずつ「良心之全身ニ満シタル丈夫(マスラオ)の起リ来ラン事ヲ」(1889年同志社普通学校の在校生=横田安止への手紙より)に近づいて行くのだろう。
|