掲載:塾ジャーナル2022年1月号

特別寄稿『僕は子どもたちの未来を創っているか?』

学優舎(静岡県沼津市) 塾長
株式会社Gakuyou 代表取締役 土屋 肇


中学受験は君たちの人生を
幸せにしているかい?

「30周年おめでとうございます」
昨年、学優舎に一通の手紙が届いた。

「2人の息子は26年前、中学受験から大学受験までの8年間お世話になりました。塾の送り迎えと車中での息子との会話、また合宿などにも参加し、親子で1つの目標に向かって過ごした日々は、今となっては子どもとの大きな思い出であり、学優舎なしには語れません」

長男はカリフォルニア州で研究職に就き、次男はスイス工科大学からアメリカ、インドと海外を飛び回り、現在は東京で起業しているという。兄弟が自分のやりたいことに邁進している姿が思い浮かぶ。

「今でも学優舎の前を通ると、息子と過ごした昔が懐かしく感じます。子どもと夢中になれる時期を提供していただいたこと、感謝の気持ちでいっぱいです」

僕はこの最後の一節を何度も何度も読み返し、心の中で「こちらこそ。本当にありがとうございました」とつぶやいた。

この30年の間に何人の子どもを指導しただろう。そのたくさんの子どもたちは果たして今、幸せなのだろうか、と考えることがある。何をもって幸せというかは難しいが、ウキウキ・ワクワクするような幸せ感でいい。願わくば、そんな心持ちで暮らしていて欲しいと、心の底から思わずにいられない。

たくさんの生徒の中には、あまりにも若い命を奪われてしまった子もいる。

12歳で亡くなった ちえみ――45分もかけて週3回も通塾してくれた。塾の卒業会「旅立ちの会」には暁秀中の真新しい制服を着て、可愛く笑って写真に写った。入学式の3日前、交通事故で亡くなった。父親の運転する車に暴走車が突っ込み、小さな身体は空に投げ飛ばされたそうだ。葬儀で見た彼女は憧れの学校の制服に身を包んでいた。「中学で頑張るんだ」と語った声がいまも聞こえる。

18歳で亡くなった はるみ――「先生、私ね、静大に行って先生になるんだ」。大きな瞳をキラキラさせて夢を語ってくれた。不二聖心の高3の秋、「文化祭の準備で忙しいから休みます」が最後の言葉。体調を崩し、あっけなく天に召されてしまった。

24歳で亡くなった まつり――暁秀中から東大そして電通と、輝かしい道を切り開いたものの、クリスマスの日に命を絶った。そのひと月前、彼女は僕に会いにきた。その時の彼女を、僕は何も理解できていなかったと今でも悔やんでいる。彼女の写真がマスコミで流れるたびに、切なく胸がつまる。

3人とも、夢を膨らませながら真剣に受験に向き合った。勉強の楽しさも辛さもすべて経験し、目標に向かって努力し、自ら学ぶ力を身につけて巣立ったはずだ。未来を楽しめなかった教え子たちがいるから余計に思うのだ。学優舎を巣立っていった子たちが、どこにいても何をしていても、毎日を楽しく過ごせているのかと。そして大人になった一人ひとりに聞いてみたい。

「中学受験は君にとって、あなたにとって、良い経験になっているかい。一生の宝になっているかい」と。

受験は親子を怪物にもする

僕には2人の娘がいる。彼女たちが生まれた時、大きな幸せを感じた。「こんにちは、やっと出会えたね。生まれてきてくれてありがとう」。心の底からそう思った。

仕事後、深夜の病院にかけつけ、ガラス越しに初めて上の子を見た時に「なんて指が長い子だろう」「自分に似たか」とさっそくの親馬鹿ぶり。

下の子の時は分娩室に入り、最初に取り上げる光栄に与った。抱きかかえた彼女はとても軽く、その小ささに驚いたが、伝わってくる鼓動に命の重さを感じた。ドキドキしながら、へその緒を切らせてもらった。

おそらく、すべての親は似たような経験をして、同じように目の前の小さな生に大きな幸せを感じたのではないだろうか。「生まれてきてくれてありがとう」は、僕だけの言葉ではきっとない。

それがどうだろう、成長するにつれてその存在はだんだん難しいものになる。そこに「中学受験」という一大イベントが組み込まれれば尚更だ。

中学受験の世界では、大手塾が難関校に合格させるためにつくった受験カリキュラムが幅を利かせている。入試日から逆算したこのカリキュラムは、小学4年生に等差数列の理解を求め、分数計算を習得させ、5年生までにひと通りの受験学習を終え、6年生では5年までの学習の反復の上に応用力を養う学習が重なる。

まるで、どこかの高校の国公立大・私立難関大対策のカリキュラムのようだ。それが健全だとか健全ではないとかは関係ない。それに乗るか乗らないかだ。そして、乗らないと難関校に合格できないという不安感を常に煽る。中学受験はこんな不安感の渦の中に、子どもを、保護者を、いや家族を巻き込む。

だから中学受験は「親子の受験」なのだ。子どもがひとりで向かう相手にしては巨大すぎる。保護者が一人で向かうにしても大きい。家族が一つになって向かっていかないと、巨大な渦にエネルギーを吸い取られ、恐怖や不安に飲み込まれ、可愛く愛おしかったはずの子どもを「怪物」にしてしまうことがある。

ある時、6年の生徒の母親から「相談があるから話を聞いて欲しい」と電話が入った。母親の話は「子どもが最近変だ」という一言から始まった。「お母さんは信じられないから、僕の物には一切触れないで。だから部屋にも絶対に入らないで」と、子どもが一方的に言い出したという。

でも気になるから、子どもが学校に行ったときに部屋に入ると、塾のプリントや模擬試験の結果がぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨ててあった。それを拾ってちゃんと伸ばして机の上に置いたら、「お母さんは部屋に入った」と大声を出して、「お母さんが触った物は洗ってきれいにしなければいけない」と、洗面器に水を汲み、机の上のプリント類に水をまき始めたという。

突然「怪物」になるのは保護者も同じだ。

あるとき生徒が「先生、お母さん出て行っちゃうんだよ」と言った。「どういうこと?」と聞き返すと、「『もうあなたたちの世話は嫌だ。これだけ一生懸命やっているのに、なんであなたたちの成績は上がんないの!?』って大声出した後にスタバに行っちゃうんだよ。で、ずーっと帰ってこない」。

受験雑誌が取り上げるサクセスストーリーはもういらない。匂いが違うのだ。中学受験の本当のサクセスストーリーには、もっと泥臭い、親子の葛藤と苦渋の選択、そしてたくさんの涙の匂いがするのだ。

受験を家族の大きな宝物に

最後にもう一通、紹介させてほしい。
受験勉強を始めたのが6年生の夏休みという女の子の保護者から届いた手紙だ。

「初めて学優舎を訪れた日のこと。勉強がわからず不安で泣く娘の涙を拭い、背中を押して学優舎に通わせた日々。中学受験というものに全く知識のなかった私の不適を、唯々後悔する日々でした。

正直もう間に合わないのではないか、と悩んだ時もありましたが、娘と話し合い『ダメでもやれるだけのことはやってみよう』と決心してからの半年間を、娘とともに一つの目標に向かって日々努力したことは、私たち親子にとって大切な宝になったように思います。

何度もぶつかりながら、一緒に泣いて、笑って、過ごした日々。受験という目標がなかったら、あんなにも深く娘と関わることはなかったように思います。本当にありがとうございました」

「あこがれの学校に合格」という同じ目的を家族で持った時に、初めて中学受験は輝き出す。一つの目標に向かって取り組む、そのすべての時間が意味を持つことになる。そしてすべてが終わった時、結果に関係なく、親子で過ごした時間が家族にとって大きな宝物になるのだ。

「合格しても不合格。不合格でも合格」

中学受験は、そういうものだと私は思う。

プロフィール
学優舎(静岡県沼津市) 塾長
株式会社Gakuyou 代表取締役 土屋 肇 氏


1959年生まれ。1991年、静岡県沼津市に学び舎「学優舎」を立ち上げる。60を過ぎて、さらにRockで過激な授業を展開。2018年ディスコキング受賞。沼津で30年以上中学受験指導を行う最古参と自負。中高一貫校合同相談会『学校を知ろう。』を主催。
■学優舎 https://gakuyousya.wixsite.com/gakuyousya


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