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2020/9 塾ジャーナルより一部抜粋

通信制高校の現状課題とその可能性について

天王寺学館高等学校 顧問 久井通義

     

はじめに

 高等学校・大学とその入試制度の「三位一体改革」が、高校における指導内容や評価法までを抜本的に改革する方向に進めば、教育の本質を見つめ直す時代がやってくる。そこには、個々人の能力を「平凡な物差し」では測らず、これまでの「平均的に」や、あるいは「標準的に」という時代遅れとも言える没個性的な指導法を廃して、生徒の個性や特異な能力に応えた学習法・指導法の実践に進んでいくことにつながっていく可能性がある。これが、これからの高等学校全般に求められていくものになるだろうと思っている。

 『進歩は、多様性の中から誕生する。画一性を保持するからではない』と、19世紀英国の美術評論家、ジョン・ラスキンが言った。

 「多様性」が叫ばれて久しいが、叫ばれている内はそれが未だ実現できていないと言うことでもある。今必要とされる「高等学校」は、陳腐な前例に疑問符を打って、この複雑で難しい社会に立ち向かう「真の自立心」を持った若者を真剣に育てていくことにある。通信制高校が求められているものも、同じく「ここ」にある。さらに言えば、通信制は柔軟な教育制度を持つことから、「多様化」のさきがけとなる可能性を秘めている学校形態である。

通信制高校の現状

 全日制、定時制、通信制の三課程は学ぶ形が異なるものの、同じ「学習指導要領」に基づいた教育が行われていることは言うまでもない。

 歴史を振り返ると、定時制とともに戦後、勤労者に後期中等教育の機会均等を提供する場として制度化されたが、当初は国語科のみで実施され、順次、科目数が拡充され全科目に広がっていった。そして昭和30年には通信教育のみで高等学校の卒業が認められるようになった。また、昭和36年の学校教育法の改正において、通信制が全日制・定時制とともに法令上に明記され、専修学校との技能連携制度もこの年に制度化されている。その後、昭和37年に「高等学校通信教育規定」が制定され、以降、大きな法改正は行われていない。

 大阪で見ると、戦後、当時の基幹産業であった紡績工場などへ、地方から多くの若者が働きに来ていた時代があったが、今はそのような職場単位で入学するような集団生徒はもういなくなって久しい。

 高校進学率が98%を越えた現在、係る勤労生徒数が急減する一方、登校に悩むなどの新入学者層である新卒の中学生や進路変更による全日制、定時制からの転編入生など、様々な入学動機や学習歴を持つ学習者が在籍するようになり、制度当初の想定とは異なった状況となっている。また通信制が定時制の生徒数減少にも一定の影響を与えているものと思われる。

 通信制高校は自治体による公立校、学校法人立による私立校、そして平成14年にスタートした株式会社立による教育特区校に分かれる。また、校区は「広域性」と「狭域性」に分かれる。広域性は3都道府県以上を、狭域性は2都道府県以内を校区とし、生徒の募集地域が異なる。公立校は1校を除きすべてが狭域性で、他方、私立校の大半が広域性である。一般的に、広域性は幅広い地域から生徒の入れを行い、狭域性は地元の生徒を中心とした教育が行なわれている。

 通信制高校は今後も増える傾向にあると思われる。他の都道府県のことは存知あげないが、近年大阪でも3校が新設され、学校総数はおそらく270校を超えているものと推測される。

通信制高校で学ぶ生徒たち

 平成30年度の学校基本調査によると、公立校78校に約6万人、私立校174校(株式会社立を含む)に約13万人、計19万人弱が通信制高校で学んでいる。したがって高校生総数に占める通信制生徒の比率は約5・8%となるが、5月の学校基本調査後に全日制、定時制から転入する生徒が相当数いるため、年度末比率はおそらく7%を超えているものと推測されることから、現状、13~14人に一人が通信制高校で学んでいることになる。

 勤労生徒の減少に伴い、通信制で学ぶ生徒の平均年齢は若年化し、学校によっては全日制の生徒年齢と何ら変わらないところも多くなった。

 入学動機だが、中学新卒生は不登校を経験した者、虐めを受けてきた者、起立性調節障がい(OD)などにより登校が困難だった者が数多く見られる。特にODの生徒の増加が著しい。高校からの転編入については人間関係の構築に悩んできた者のほか、学校が合わなかったためとする者も多い。たとえば受験一辺倒による勉学圧力で学校生活が苦しく、へとへとになり、新たな環境を求めてくる者がいる。これらの生徒は勉学への意欲が総じて高い。また個性や多様性を重視すると聞かされながら、従来の形式主義的な生徒指導で服装や頭髪を厳しく叱られ、人格まで否定されるような指導に疑問と矛盾を感じる者もいる。

 入学者全般を通しての特性面では、注意欠如多動症(ADHD)、自閉症スペクトラム(ASD)、学習障がい(LD)、さきに挙げた起立性調節障がい( O D ) や過敏性腸症候群(IBS)などの体調不安による者も増加傾向にある。また、生徒を知るにつれて家庭環境に起因しているケースが多く見られる。ただし、これらの特性や体調面、あるいは家庭背景の問題は全日制、定時制にかかわらず、中高生全般が持つ今日的な傾向でもあると言えよう。

 実際に関わってきた生徒たちを見ると、その多くにコミュニケーション能力の不安を抱えている者が相当数を占めていて、心理面から様々な症状を引き起こすことにつながっているようにも思われる。

 考えて見れば、我々大人にとっても他者との関係性について色々と悩む時代を迎えている。そして日本の社会に閉塞感を感じることも多くなった。つまり教室も実社会と変わらず、時代背景が大きく影響しているのではないかと思われる。経験的には、真面目な生徒や規範意識が極めて高い生徒が学校に行けなくなる傾向にあり、真面目だから学校に行けなくなるという、不思議が起こっているようにも思える。

通信制高校の課題

 もう4年近く前になるが、ある通信制高校がサポート校に教育の丸投げをし、「不適切な教育」と「就学支援金詐欺」を起こすというあり得ない事件があった。これを受け、「全国高等学校通信制教育研究会」が、『通信制高等学校の適正化を求める声明(平成29年6月)』を出し、続けて文科省が中心となった「広域通信制高等学校の質の確保・向上に関する調査研究協力者会議(平成29年7月)」が『高等学校通信教育の質の確保・向上方策について』の答申をまとめてガイドラインを示した。このような通信制高校全体の信用を失墜させる行為は厳に戒めるべきで二度と起こしてはならないが、あるサテライト施設では校長の監督権が及ばない中での面接指導の実施や選択肢回答のレポートなど、なお様々な問題が今も続いている状況にある。また設備面や教育面において、「必要条件」すら満たしていない通信制の付帯施設がまだまだあるようにも聞く。所用で訪ねたある広域通信制高校の付帯施設は雑居ビルの中の一角にあり、廊下には様々な物がうずたかく置かれていて、消防法上、問題があるのではないのかという印象を持った。

 「高等学校通信教育規定」の制定から半世紀が過ぎた。この規定は勤労者を対象としたものであり、明らかに制定時の想定とは異なった規定となっている。これではまるで生徒たちを「擬似勤労者」の如く扱っていることになり、実態からは相当乖離していると言わざるを得ない。今日、通信制で学ぶ生徒たちも高校生一般の学校生活を望む者は決して少なくはなく、時間の融通がつかない勤労者が主に学ぶ場所では既になくなっている。

 「通信教育規定」では必要最小なら、地歴公民や国語、数学などのスクーリング回数(授業回数)は年間わずか2時間や4時間の世界である。ただ卒業させれば良いと言うのであれば高校が「軽作業」をするような場となってしまいかねないが、各所で実際に起こっている現実である。通信制高校に関わる者は、生徒たちを学校教育法第一条に規定された高校の正規課程で学ばせているという自覚を持たねばならない。学校によって差異はあるが、卒業後の進路未決定者の平均が4割を超えている現実から目を逸らしてはいけない。

 文科省においては、「高等学校通信教育規定」を、通信制高校の生徒の実態と文科省が考える教育目的に沿ったものに改定を考える時期がとっくに来ているように思う。

 私は狭域性の高校で勤め、そこはできるだけ登校させる高校だった。しかし全日制一般と遜色のない教育を生徒たちに実現していくことに大きな壁を感じてきた。全日制に比べて私学補助金が余りに低いという現実である。今こそ文科省は通信制で学ぶ生徒たち全体の身になって適正な施策を行ってもらいたいと願っている。

 校区にしても現在の「広域性」、「狭域性」とするのではなく、時代の変化が見えているのなら、「登校できる範囲の区域」を狭域性とする方が生徒たちのニーズに応えられる。

通信制高校の可能性

 今の学校制度に合わない生徒たちがいても良いし、時代や社会を俯瞰して見るなら、それを不思議とは思わない。一部の高校では今も、クイズの集大成のような学びを重視し過ぎていることに気づかねばならない。多感で学ぶ吸収力の高い高校時代には他に学ぶことが山ほどあることを伝えていかねばならない。

 通信制高校は生徒の「自己管理」を伴うが、これも今の生徒には新しい価値観や生き方を指し示すものにつながっていく可能性が高い。そこから自ら学ぶ姿勢や自律性を身につけていくのなら、自立心にもつながり、通信制で学ぶ選択肢の意義は大きく価値がある。

 通信制の教育課程はその柔軟性にある。たとえば体調不良の生徒やスポーツに専念する者にもそれぞれのペースでの学びが実現できる。また海外に在住する者にも日本の高校を卒業させるカリキュラムを組むことができる。通信制高校の大きな可能性はこの「既存」とは異なる柔軟性にある。これからは一人ひとりの個性や特性を伸ばしていく教育が必要であり、その先駆けとなり得る学校の在り方を示していくことができる制度のように思える。

 コロナ禍により、2020年度、すべての学校の運営は大変厳しいものとなった。通信制高校は映像教材の配信において「一日の長」を発揮できたのではないかと思っている。

 私は通信制高校を「セーフティネット」とする従来の見方には抵抗感が強い。もし学校においても真の多様化が進めば、各課程は高校生それぞれの学校選択肢の一つに過ぎず、そこで学ぶ学習者の自尊心を徒らに毀損しないで済むと考えているからだ。

 最後に、通信制の可能性とは、畢竟、日本の高校の可能性と同義であり、そのことが問われている時代だと思っている。


●久井 通義氏プロフィール

私立高、公立高で国語の教鞭を執る。昭和58年の「留学生10万人計画」を受け、日本語教員となる。平成14年、通信制高校の設置に関わり、天王寺学館高校で教頭、校長の管理職として16年間携わる。2018年度末に退職し、第一線は退いたが、「天王寺学館高校顧問」、「全国私立狭域通信制高等学校教育推進協議会顧問」として、通信制教育に関わっている。

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