「本校が行う教育の内容を、卒業生が活躍する分野を通して発信していく(春日利比古校長)」。第3回目となる今年のテーマは「文化・芸術」。第三代校長・渡邊海旭氏の命日に近い冬の休日、芝学園講堂は、300人の観客たちの期待と高揚に徐々に暖められていく。芝学園理事長・小林正道氏によると、海旭氏は「非常に幅が広く、多様な側面を持った人」。文化・芸術の力が輝かせるさまざまな「いのち」のきらめきに、観客の心も明るく照らされていく。
基調講演
〜いのちを唄い、歌でいのちを繋ぐ〜
国境なき楽団の活動を通じて
歌手・シンガーソングライター 庄野 真代氏
音楽の力で人の心を結ぶNPO法人「国境なき楽団」。国内外への訪問コンサートで音楽を届け、聴いた人たちが「いのち」の温かさを発信する参加型イベント等を支援する。また、家庭や学校で眠る楽器を修理し、途上国の子どもたちに届けるプロジェクトでは、分裂が続くスリランカ南北の子どもたちの合同オーケストラにも寄贈。「楽器がつなぐ『命のリレー』、音楽は『いのち』のメッセンジャー」。その共感を世界に広げたい、と庄野氏は柔らかな笑顔で語った。
幕間余興
新作落語
「渡邊海旭先生と芝中学と遵法自治」
柳家さん福 師匠
お囃子が流れ、柳家さん福師匠が登場。「待ってました!」の掛け声で講堂は寄席へと変わる。軽妙洒脱な語りに誘われ、激動の時代を生きた渡邊海旭氏の人生を観客も追体験。俳句や漢詩に夢中の青年は、ドイツではオペラを楽しむ。釣ったウナギを蒲焼にしたエピソードは観客も大爆笑。校訓となる「遵法自治」(真理に従い、自己を治め、確立する)を体現した校長時代、幅広い交友関係の中でスケールの大きな活躍をした海旭氏が、生き生きとよみがえった。
パネルディスカッション
◇パネリスト
佐山 哲郎氏
(作家・俳人・根岸西念寺住職)
荻原 延元氏(日本画家)
◇コーディネーター
前田 和男氏
(ノンフィクション作家・翻訳家)
前田 渡邊海旭氏と日本画家・奥村土牛氏の二人の生き方から「いのちにいのちを与える文化・芸術」を探ります。海旭氏は生死の境に何度かさらされた。病床で苦しむ自分を対象に句を詠むと、不思議と治ったと語っています。
佐山 あえてつらいときに自分を離れて見ることが役立った。俳人石田波郷も病弱で、切実な命の句を詠んでいます。
<手花火の命継ぐ如燃やすなり>
<命継ぐ深息しては去年今年>
前田 海旭氏は漢詩も天才。辞世の詩を詠んだ翌朝治癒した時の句がこちら。
<熱さめて暁青し窓の藤>
絵も得意だったようで、句を添えて知人に絵をプレゼントしたようです。
<千本菫摘みたる村の塔古し>
荻原 色や情景が目に焼きつきます。
前田 荻原さんと日本画の出会いは?
荻原 芝中時代に美術の奥村昭先生が「君、日本画見たことある? 展覧会の券が1枚あるけど行く?」と。その院展で後の師匠となる奥村土牛先生の絵に引き込まれた。61期の卒業生は美大に10人も受験した。進学校なのに先生も「美術をやりたい? それは良いね!」。この自由な雰囲気が芝の特長。
土牛先生は70歳のとき、戦後日本画の最高傑作と呼ばれる「鳴門」を、100歳で「富士宮の富士」を描いた。命がけで描き、絵そのものが「いのち」。だからこそ作品はいつまでも輝いています。
前田 海旭氏は61歳の寿命でしたが、成し得たことは多岐にわたり、実に年齢の倍ぐらいは生きた。文化・芸術は、より良く生きる糧だと深く感じます。 |