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2013/7 塾ジャーナルより一部抜粋

河野優の超〜塾長爆裂対談

第28弾:R志学会RISE 塾長 羽田野 秀治

河野 優(こうの まさる)
[ 学習塾経営研究会 主宰 ]
大学を卒業後、大手通信メーカーに入社。そこで国際向け電子交換機のプログラム開発に携わる。30歳の時に、一身上の都合で地元に帰り、縁もゆかりもない場所で塾(開進スクール)を立ち上げる。塾を立ち上げた翌年より、学習塾ニュースの配信開始。現在の読者数は、約1100名。
その後、学習塾経営研究会を発足、全国の塾長のためのネットワークを構築。
主な活動には、千樹会(100人会の姉妹団体)代表幹事、学習塾経営セミナーの開催、100人会の主宰。塾ジャーナルに「1年間で生徒数100名に!」を執筆。

R志学会RISE  羽田野 秀治 塾長:(大分県大分市)

大学在籍中から塾講師のバイトを始め、大学卒業後、数年の塾講師を経て地元にてに学習塾を立ち上げる。

スタート時に47名だった生徒数は、現在700名。校舎数も6校舎と急成長している塾である。

河 野(以下───) 今回は、大分市にて、R志学会RISEを経営されている羽田野先生です。早速ですが、以前から、「R志学会RISE」っておかしな(失礼(笑))塾名だな?と思っていたのですが、この名前の由来を教えてもらえますか?

羽田野 地元大分に帰って来た当初、「志学ゼミナール」という名前で塾がスタートしました。1993年だったかな?地元は、大野郡(今は、豊後大野市)なのですが、2002年に大分市に塾を出すことになりその際、似たような名前の塾さんがあったので、「進学塾RISE」の名前で出しました。すると塾名が2つになり、ドキュメントなどが面倒になってきたので、翌年に名前を統一しようということになり、今の名前になりました。

 最初のRは、シャレです。(笑)タウンページ対策ですね。最初「あ」からスタートしますが、その前はアルファベットなので、一番上にくるだろうと・・。

─── Rのくだりは、知ってましたが(笑)、そうですか2つの塾名を統合していたんですね。ちょっと年代を追ってお話を聞きたいのですが?

羽田野 地元で塾を開業した1993年4月には、47名の生徒がいました。これは今、思うと私の父が地元の周りの方に色々と声をかけてくれてたと思うんですね。いろいろと顔が広かったということで本当に感謝しています。この頃は、地元に本格的な塾もないという状況でしたので、1年もしないうちに生徒数は100名を越えました。開業して翌年には、奥さんも塾に入ってもらい専業者2名、バイト数名という形でしばらくやっていました。最終的に170名くらいまで、生徒が増えました。ここだけで塾をやっていたのは、8年ですので、2001年に大分市に出ていきました。

─── 最初から人数がいたのですね。私が知ったのはちょうど大分で苦労していた頃だったので、意外でした。

羽田野 いや、最初は父の力が大きかったと思います。あと環境にも恵まれてたということですね。しかし大分市に出ていったときには苦労しました。

 最初は11名だったかな?それから全然増えない。1年経っても20名程度という状況でした。かなり保守的な土地柄なので、新しい物には飛びつかない。

 これは本当に大変でした。

─── しかし今は、その場所だけで200名を越す生徒がいますね?その転換期は何をしていたのでしょう?

羽田野 その2年間は、必死に色々な勉強をしました。特にマーケティングとか、組織論とかは貪欲に学びました。この2年間が無ければ、とっくに潰れていたと思います。

─── マーケティングってのは、神田先生のものだろうと言うのは予想がつくので(笑)、組織論のくだりを聞かせてください。特にRISEと言えば、情熱大学とか例のあいさつの練習とかが内輪では有名ですが、それが始まった理由などもお尋ねしたいですね。

羽田野 ちょうど大分に出た頃、ある会合で北陸地方の塾長と一緒になりました。その時に、主催者が「塾を大きくしたいなら、その先生に聞くといい。」ということでホテルも同じにしてくれてたんです。ホテルに着き、夜に単刀直入に「私は塾を大きくしたいんですが、どうすればよろしいですか?」と聞いたんですね。

 そうすると、「今度、ウチで○○があるから、それを見に来なさい。」と言われ、そこで見たものが、あの一連の・・ということです。

─── 結局、朝礼をやって自塾の信念(クレド)を暗誦し、全員で大きな声で挨拶の練習をしたり、塾の理念をどこまで覚えてるかのテストをしたり・・ということですね?

羽田野 そうです、そうです。ただ正直、あのようなものは、恥ずかしいじゃないですか?(笑)いや、本当に。なので、最初は、「本当は、オレはこんなの好きじゃないんだけどね。」とか言いながらやってました。すると、ラッキーだったのは、ウチのスタッフがそれをおもしろがってくれて、それからですね。火が付いたのは。

─── すると最初は学生のノリで?

羽田野 そうです。まさに学生の「ノリ」。スタッフの多くは、学生バイトからの連中が多いですし、塾の開業期は、深夜、スタッフとファミコンしてましたしね。

 ただ生徒が増えて、スタッフも増えて来て、新しい土地に塾も出したときに、このままでいいのか?本当にスタッフを守れるのか?と考え、それを提案しました。

 すると結局、「ノリ」でやってくれたんです。結果、全員が同じ方向を見ることが出来ましたし、フィロソフィーがあるから良かったかどうかは分かりませんが、無かったら、とっくに潰れていただろうとは思います。また朝礼も最初は、法人会の「職場の教養」という小冊子の読み合わせから始まりましたが、一番大事なのは朝礼をするってことです。今までは、なんというか、ダラっと仕事が始まり、ダラっと終わってる感じだったのですが、朝礼をすることで、ここから仕事だ!と意識が仕事に向うようになりました。

─── ご自身の意識にも変化はありましたか?

羽田野 一番は、校門配布ですかね。色々な先生に校門配布をしろ!と言われても、正直、出来なかったんですね。一応、先生だし、しかもチラシを塾長が配るなんてなぁ〜と。しかし、朝礼をやったり、ハイ!の練習などをしていく内に、そんな小さいプライドは捨てようと。

 ある意味、仕事のプロに徹そうと思い、今ではバンバン配ってます。

─── ウチの校門配布は、伝説もいっぱいあるので、ここでは割愛しますが(笑)、そうですか、最初は配れなかったんですか?

羽田野 ですね。多くの人は苦手だと思いますよ。知らない人に物を渡すわけですから・・。ただ成績アップをずっと言い続けて、実際、50番くらいだった生徒が1番になった頃が1つの転換点でもあるのですが、自分が間違ってなかった。自分のやってる事は正しい!と思えると、やれるものです。単なる売り込みだったり、自分のための生徒獲得だったら、多分、出来ないでしょうね。後は、プロに徹するということです。性格は、人それぞれでしょうが、講師として人前に出るからには、それなりのプロとしての人格とかが必要と思うんですね。よく河野先生が言う「素の自分で認めてもらおうとか思うなよ!」という、まさにその通りです。

 塾講師の仕事として全てプロとしてこなすということは、校門配布1つとってもキチンと出来るかどうかです。組織が出来ていない塾というのは、変な言い方ですが素のままのスタッフ・講師を認めてしまっているから、集団として、組織としてうまく行かない。よってプロの仕事としても甘くなるのではないか?と思うんですね。

─── 組織の作り方ってのは色々あるわけです。フラット型とか、軍隊型とかね。しかし、組織を動かせない塾長が多いのは、それ以前の問題が多くて、実は、まさに仕事をするプロの人格になっていないことが原因だったりするんですね。

羽田野 そうかも知れませんね。情熱大学という名でウチはやっていますが、あれをやりだして良かったのは、スタッフ・バイトの全員がプロ意識を持ってくれたことですね。

─── さて現在6校舎となり、順調なRISEですが、今後の展開は?

羽田野 1つは、成績アップには、まだまだこだわって行きたいですね。それと中高一貫校への対応。これは、友人の阿部先生(東大セミナー)と合同で模試を行っています。

 今後の教育を考える上で、中高一貫は外せないと思うので、もっと仕掛けて行きたいですね。

─── 本日は、どうもありがとうございました。

羽田野 どうもありがとうございました。

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