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中学・高校受験:学びネット

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2008/11 塾ジャーナルより一部抜粋

品格とは、博学であり、厳格であり、優しさであり、弱さであり、劣等感である。
ご苦労さん共存共栄アホちゃうか(敏郎のぶったたき川柳101首より)

瀧山 敏郎(たきやまとしろう)
大学講師(大阪工業大学、園田女子大学)・【衛星放送・スカイパーフェクトTV講師】・全国英語研究団体連合会理事・京都私立中学・高等学校英語研究会会長を経て、現在、東京・大阪を中心に教師を指導する教師として、教師アカデミーを主宰しその代表として活躍中。また大手塾・・高等学校(特に健全経営のための魅力あるコース作り)の顧問として、その経営と大学受験の指導にあたっている。
アメリカ・テネシー州名誉州民
著書 『英語長文の完全征服』【山口書店】・『滝山敏郎の入試英語に強くなる実況放送上下巻』【東進ブックス】・『滝山敏郎の入試英語ココから出る語法』【栄光出版】ほか多数

教師の品格・教えることの品格とは!
  “これぞ品格のない時代錯誤”

大阪の橋下知事の「あのくそ教育委員会」発言が物議をかもしている。9月14日朝日新聞の29面にかなりの紙面を割いて、今回で退く教育委員の反論を載せている。どうみても朝日新聞が委員たちを擁護している載せ方だ。問題の本質を追求しないで表に出た橋下知事の発言を載せて、読者の反論を期待しているかのようだ。「市町村別の平均正答率を公表せよ」といった知事の主張は当然であり、過度な競争が生まれるからという理由で「公表しない」という教育委員会は責任逃れであり、説得力がない。

もともと勉強に限らず、スポーツ・芸術には競走が付き物。なぜそれを回避するのか。競走し挫折を経験させたらいい。今のままでは子どもたちは挫折を経験しないで大人になり、しんどさに耐えられない大人になってギブアップするのがおちだ。どこかの総理大臣にそっくりである。教育委員会は学力向上になんの手も打ってなかったことの証である。

私は全ての児童・生徒は学力が上がると確信している教師の一人である。「勉強が好きなら一生懸命にやればいい。スポーツや絵、音楽がすきならそっちをやればいい」といった言葉はまことにその通りで、何をぐちゃぐちゃいっとんのかと言いたい。

どの分野にしても競争が付き物である。教育委員の一人が「ご苦労様、頼むよ、共にがんばろうと言うのが真のリーダーの姿だ」と言ったのには驚いた。仲良しグループじゃねえだろうが。府民が高い税金を払っている事実を認識しているのか。素人の教育委員を指名した大阪府にも責任がある。結果を出してこそ責任を果たすのと違うのか。「責任を転嫁し、主体性のない能無し教育委員」と言いたい。勉強はなりたい自分の可能性を広げるプロセスであり、教師はその援助者である。学校も塾も銭を取ってるいじょうやらなければならないことが2つある。ひとつは必ず学力を上げること。そして躾をキチンとつけることである。
初等中等教育の最大の責務である。人間教育はこの2つの過程でこそ成就するのである。

努力してこそ教える品格が

教師の品格がまったく消滅したといっても過言ではない。2008年、教育研究全国集会の中でのある教師の報告を絶賛した記事を見た。以下のごとくである。38歳の担任が受け持つ小学5年生のクラスは「嵐の学級」といわれるほど学級運営がうまくいかない。子どもがうろうろ歩き回り、大声でわめき、ボールを黒板にぶつけるなど手がつけられない。そのことを担任が保護者会で報告すると、親たちは担任を責めるどころか「先生よくいってくれた、私たちで出来ることがあれば協力させてください」と受け止め、都合がつく限り夫婦で授業に入ってくれた。

といった記事で、教育研究全国集会がこの報告を評価している内容だった。とんでもない教育放棄であると言いたい。国民の税金で給料をもらっているのである。親が授業に入らないと、授業が成立しないのは教師失格である。即刻首である。もちろん親に協力してもらうことを全て否定しているわけではない。まず学級運営は教師自ら苦しみ、戦い、努力してこそ教えることの品格が出来るのである。

“国家の品格”の著者である藤原雅彦氏は次のように警告している。「論理が通ることは脳に心地よいから、人はこのように理解出来る論理にすぐに飛びついてしまう」。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な論理に比べ、「いじめが多いから卑怯を教えましょう」というのが先ず先だ。大勢で一人をやっつけるのは文句なしに卑怯であるということを叩き込まないといけないのである。大切なことを生徒に、親に、迎合するのでなく、押し付けよ。学力をつけるのには、最低の基礎を有無を言わせずに詰め込むことである。論理思考で教育を考えるのは、大人の、教師の、教育の行政に関わっているエセ権威者である。生徒は論理思考で動くわけではない。

先人から教師の品格を学ぼう!

「至誠にして動かざる者なし」(丸山敏秋氏の書から)と松下村塾を主宰した吉田松陰は言う。真心で接すれば、人は動き、変身するという意味である。松陰の教育の原点であり、品格である。はじめて門を叩いた門人が松陰に「どうかよろしく教授をお願いいたします」と言うと松陰は「いや、教授など出来ることではありません。君と一緒講読しましょう」と返答。またある時は、感動する物語になると、声を震わせ、満願に涙をたたえ、ひどい時には涙がポタポタと教科書の上に滴り落ちたという。またある時は、社会悪に対して、髪が逆立つほど怒り、大声を出して熱弁をふるったともいう。共に涙し、共に怒り、共に心が通い合ったという。

最近、NHKで、映画監督の新藤兼人氏(96歳)が、小学校の恩師をモデルにした「先生」という映画を撮ったという番組を見た。新藤氏曰く、その先生から学んだことは「嘘をいうな、真っ直ぐに生きよ」という言葉が大きな支えとなったと。国内はもちろん、外国でも様々な賞を獲得した大監督である新藤氏は教師の存在を人生の糧にしたということである。一生を小学校の先生で終わった平凡な先生で、いつも生徒には「心から怒り、心から謝る」そんな先生だったそうだ。それを宝にした映画を撮りたかったと。

教師の品格とは、教える品格とは!

品格とは偉大な人格を持っている人でもなければ、高学歴を持った人でもない。教師はマイナー思考であれといいたい。プラス思考なんてくそくらえである。マイナー思考をするからプラス思考になるのである。プラス思考しかもってない奴はただのアホであり、二代目のアホ社長である。最初から自信を持って教壇に立つわけではない。劣等感、悩み、苦しみ、涙し、悔しさを経験するからこそ生徒に近づけるのである。私が教師になった23歳から30歳までは、まさしく戦いであり、挫折の連続であった。失敗だらけであった。だからこそ教える実力を持った、嘘をつかない、「至誠にして動かざる者なし」である。本物でないと相手は動かない。

教師は博学であり、尊敬される人間であるためには、先ずマイナー思考からはじめることだ。まだ遅くはない。私は、「生徒と教師の関係は作家と作品の関係」であると思っている。偽の作家にいい作品はできないのである。作家は苦しんで、戦って、ギブアップしないそんな中でいい作品が出来るのである。

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