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2008/1 塾ジャーナルより一部抜粋

8人の多角的提言

  教育改革が叫ばれている中で、民間教育機関としての学習塾が何をなすべきか。
学習塾と学校の“共存”というより“競争”でしかないのか!
8人のプロフェッショナルが提言する。
 
 
 

“ 学習塾と学校、“共存”の行方 ”

前屋毅
1954年鹿児島県生まれ。法政大学卒業。週刊誌記者を経て、現在はフリージャーナリスト。企業、経済が取材の中心だったが、今後は教育問題のフォローにも力を入れていく予定。著書に『学校が学習塾にのみこまれる』、『追い詰められる銀行』、『シェア神話の崩壊』、『全証言 東芝クレーマー事件』、『ゴーン革命と日産社員』などがある。

学習塾が拡大していくなかで

学習塾の講師が担当する授業や、教員が学習塾の講師に学ぶ研修を積極的に導入する学校が増えている。そうした動きをとらえて、「学習塾と学校が共存しはじめた証拠」とする見方もある。しかし、それは、やや楽観的すぎる気がしないでもない。

ちょっと前まで、学習塾と学校は犬猿の仲だった。というより、学校が学習塾を必要以上に嫌っていた、といったほうがいい。

1977年3月18日、学校を統括する文部省(現・文部科学省)初等中等教育局長名で「児童生徒の学校外学習活動の適正化について」という通達が出された。そこには三つの項目が並べられていたが、うち一つは次のように述べている。

「学校の教員が学習塾の講師となっている場合もみられるが、学校の教員は、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めて父母の信頼を得るようにしなければならないものであること。特に、教員公務員にあっては、その職務と責任について十分自覚を促し、服務の適正を図るよう措置すること」

当時、学習塾は急拡大していた。そうしたなかで学習塾は教え手の確保に困り、公立学校の教員を講師として迎えていた。教員にしても自分の専門を生かせる数少ないアルバイトということで、昼は学校、夜は学習塾という生活を楽しんでいたようだ。学習塾と教員とは、まさに“共存”していたといえる。

しかし、学校と文部省は、この状況を愉快におもわなかった。教育は自分たちだけの領域、という意識が学校にも文部省にも強い。それは、当時も今も変わらない。

そこに、学習塾という“門外漢”が入り込んできたのだ。愉快なわけがない。それも自分たちの陣営の人間であるはずの教員が手助けしているとあっては、見過ごせるはずもない。

アルバイトは民間企業でも認められない。公務員の世界とあっては、なおさら許されるはずがない。にもかかわらずアルバイトがまかり通っていたのだから、学校現場に“緩み”があったのかもしれない。それも学校や文部省の気に障ったはずだ。

先の文部省通達には、そうした複雑な“苛立ち”を読み取ることができる。学習塾やアルバイトをする教員に対する”怒り”の表れといってもいい。そこには、“共存”の可能性など微塵ほども感じられない。

学習塾が学校現場に入り込む

それから三十年近くが過ぎて、学習塾が学校の現場に入り込みはじめているのだ。その先駆者的な存在の一つが、早稲田アカデミー。

東京都港区の教育委員会は、2005年6月から中学生を対象に「土曜特別講座」を開いている。週休二日制で教員を導入するわけにはいかず、その運営を港区教育委員会は学習塾に委託した。それに応じたのが早稲田アカデミーだった。

「採算面からいえば、まるでメリットはありません。それでも早稲田アカデミーが引き受けているのは、学習塾が日本の教育により深くかかわっていくための基礎づくりだと考えているからです」

早稲田アカデミーの担当者は、そう説明した。日本の教育の世界では“門外漢”としかみなされてこなかった学習塾が、教育の表舞台に立つために採算を無視して公教育に協力しているというわけだ。

とはいえ港区教育委員会は、教育の表舞台に学習塾を喜んで迎え入れたわけではない。先述したように、土曜日では教員を動員できないから学習塾に声をかけたにすぎない。

港区教育委員会が土曜特別講座を始めたのは、“不人気校”に生徒を集めるためだった。港区には公立中学が十校あるが、全国に先駆けて学校選択制を採用している。自分が行きたい学校を、生徒自身が選ぶのだ。そうなると、人気のあるところとないところがでてきてしまう。生徒が集まらなければ、その学校の存続にまでかかわってくる。

そこで港区教育委員会は、不人気校の生徒を対象にした土曜特別講座を始めたのだ。この講座に通うことで“学力”が高まれば、その学校の人気が回復する、と考えたわけだ。

ところが、計算外の事態となった。土曜特別講座の対象になっていない学校の生徒と父兄から「不公平」との文句がでたのだ。公立であるかぎり、そうした不満を無視するわけにはいかない。土曜特別講座は、港区全部の公立中学の生徒を対象にするようになった。

学習塾としては採算の悪いビジネスが広がってしまったことになる。しかし、「日本の教育により深くかかわっていく」という意味合いは、より深くなった。さらに表舞台の中央に近づいたわけだ。

土曜特別講座の対象になっていなかった生徒や父兄から不満がでたのは、単に「不公平」ということだけではない。土曜特別講座が有意義なものでなければ、不公平ではあっても不満がでるわけがない。そもそも有意義なものでなければ、不人気校の人気を回復するために港区教育委員が役立てようとするはずがない。

土曜特別講座の有意義なところとは、それは「学力向上」である。

「学校は、『君はがんばったから良い点数』とか『君は、まだ足りないよ』と評価して通知表をわたすところです。もっといえば、通知表をわたす段階で終わってしまっているんです。

しかし学習塾は、おカネをもらっている以上は、もらっている全員の成績を上げなければならない。だから、出席している全員に理解して帰ってもらえるように工夫しています」
早稲田アカデミーの担当者は、そう説明した。それを生徒も父兄も理解している。だから、対象外になって不満をもったのだ。

裏を返せば、「学力」ということでは、学校は生徒と父兄の信頼を失っている。土曜特別講座は、その証拠であるといってもいい。だからこそ、学習塾の急成長もあったのだ。

共存関係よりもライバル関係

エデュケーショナルネットワークは学習塾「栄光ゼミナール」を展開している「栄光」の子会社で、私立高校に学習塾の講師を派遣する事業もてがけている。学習塾の講師が担当する特別授業を実施しているのだ。その担当者は、そうしたニーズがある理由を次のように説明した。

「大学受験は専門性が高いので、学校の授業とは別に対策をたててやらないと対応できません。試験問題の傾向は毎年のように大きく変わるので、それに対応していくには専門的な分析力が必要になってきます。さらに難関といわれる大学の入試は、テクニックがないと合格できない。だから、学校の先生は基礎基本を教える授業をやっていますが、学習塾は五十分の試験時間で合格点をとるための授業をやります。”棲み分け”ですよね」

そうした学習塾講師による特別授業を実施している高校の校長も、次のように語った。

「進学を目標にしている生徒は、学校そっちのけで学習塾に通っています。その現実を見据えて、(学校を)より現実的に良い方向へもっていくためには、学校が学習塾と連携することは、あってもいい」

改めて言う必要もないくらい、「学力」の先にあるのは「合格」というのが“常識”だ。それがあるからこそ、学習塾の存在価値がある。

そして、そうした現実がさらに深刻になっているからこそ、学校は学習塾を受け入れざるをえなくなっている。学校が現実についていけなくなっているからだ。”共存”とはちょっと違う、先の校長が言ったように“棲み分け”でしかない。

そして、学校が学習塾を受けいれる一方で、学校における学力を向上させる指導能力の向上が問題視されるようになってきている。学力の先にある合格を、学校が強く意識しはじめたのだ。大学受験に向けた指導がやりやすくなる中高一貫校が公立でも急速に増えているのは、その象徴といっていい。

教員も、いかに学力を向上させ、合格させる力があるかで高い評価を受ける傾向が強くなってきている。学習塾の講師と同じような評価基準になってきているのだ。そこにあるのは、“共存関係”ではなく“ライバル関係”でしかない。

教育現場の主役は学習塾に

さらに、学習塾が経営する学校が登場し、注目を集めるようになっている。

2005年に開校した「学校法人片山学園 片山学園中学校」は、北陸で最大の規模を誇る学習塾「育英センター」が設立したものだ。2008年には片山学園高等学校も開校し、富山県初の中高一貫校となる。

その理事長室には「片山学園中学校・高等学校マニフェスト」が掲げられており、「定員80名中、『東大20名、国立大医学部医学科20名合格』を目指します」という一項目が記されてある。そのために同校では、母体である学習塾の講師も動員しての徹底した受験指導が行われている。それが評判となり、入学希望者も殺到している。マニフェストが実現すれば、富山県内だけでなく全国でも有数の“進学校”となるはずだ。そうなれば、さらに入学希望者は集まる。

こうした学校が増え、進学校の中心的存在となっていけば、教育現場の主役は、これまでの学校から学習塾に変わることになる。学力と合格を教育の主目的とする傾向が強まれば強まるほど、その可能性は高まる。

いま始まっている動きは、学習塾と学校の“共存”というより“競争”でしかない。それを仕掛けてきたのは教育の主役を自任してきた学校と文部科学省である。にもかかわらず、教育の目標が学力と合格であるかぎり、この勝負は学習塾に分がある、というしかない。

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