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2007/7 塾ジャーナルより一部抜粋

日本教育者セミナー 岩手大会

  2007年4月25日(水)・26日(木)
於 ホテル森の風(岩手県岩手郡雫石町鶯宿)
主催 日本教育者セミナー
 
     
全国各地の私塾と私学が参加する日本教育者セミナーは、4月25・26日の2日間にわたり岩手県盛岡市郊外の雫石町において、「春のセミナー」を開催した。今回は、全国高校サッカー選手権大会で岩手県に初の栄冠をもたらした名将・齋藤重信監督や、自然をテーマにエッセーを執筆している作家の澤口たまみ氏など、地元で活躍されている方々による講演が行われた。またベトナム人留学生たちが日本の難関国立大学合格を目指して懸命に学ぶ姿が紹介され、広い視野から日本の教育を考えさせられるセミナーとなった。

【第1日目】

セミナー会場のある雫石町鶯宿は盛岡市の南西に位置する。遠くに残雪の岩手山を望む静かな谷間の温泉地である。この地でのセミナー開催は今回で2回目となる。日本教育者セミナーの岡村寛三郎理事長は開会式で、「10数年前の開催当時は学習塾が日の出の勢い。その後10年間で少子化が進み、社会的にも変動が激しい時期が続きました。同じこの場所で再会できたことを嬉しく思います」と挨拶を述べた。

続いて、今回のホスト塾である株式会社エムシーエス生涯学習センターの代表取締役であり、同社の設立母体である学校法人龍澤学館理事長の龍澤正美氏が本セミナーの内容を紹介。最後に「若い社員たちが一生懸命考えて、今回のセミナーを企画しました。少しでもお仕事に役立てていただければ幸いです」と付け加えた。
開会式の後、早速第1講座が開始された。

講師の齋藤重信氏は岩手県立盛岡商業高等学校のサッカー部監督。1947年盛岡市生まれ。盛岡商業から順天堂大学へ進み、MFとして関東大学リーグなどで活躍。教員となってからは遠野農(現遠野緑峰)・盛岡商・大船渡高の監督を歴任。何人ものJリーガーを育てた。7年前から再び母校で指揮を執り、2007年第85回全国高校サッカー選手権大会で、岩手県勢として初の全国制覇を成し遂げた。

齋藤監督は1992年に喉頭ガンを患われたため、講座はインタビュー形式で行われた。インタビュアは学校法人龍澤学館盛岡中央高等学校の主濱幸彦教頭が務めた。

■第1講座「全国制覇までの軌跡」

岩手県立盛岡商業高等学校教頭
サッカー部監督 齋藤重信氏

インタビューに先立って、今年1月8日に国立競技場で行われた決勝戦のVTRが流された。対戦相手は岡山の作陽高校。盛岡商業は先制点を許しながらも後半26分にMF林勇介君(2年)が同点ゴールを、同40分にはMF千葉真太朗君(3年)が逆転ゴールを決め、全国一のタイトルを手にした。

主濱 優勝した瞬間、監督の胸中を去来した思いは何だったのでしょうか。

齋藤 これまで37年間必死になってやってきて、優勝した瞬間は「こんなものかな」という感じでした。その後で選手たちの顔を見て、非常に嬉しいというか、言葉では言えない気持ちになりました。

主濱 生徒たちは栄冠を手にするために、大変な努力をしてきたと思います。優勝を契機に、何か変化が見られましたか。

齋藤 生徒たちが大人になったなと思います。特にキャプテンは再三再四いろいろな場面で挨拶するので、その度にたくましく大きくなった感じを受けました。他の生徒たちも落ち着いた様子で学校生活を送っています。大勢の人から注目される経験が、子どもを大人にするのだなと感じました。

主濱 最近は教育において「一人ひとりの個性の尊重」ということがよく言われます。しかし、優勝するためにはチーム全体を強くしていかなければなりません。監督はどのように一人ひとりの選手と接しておられるのですか。

齋藤 チームには60数名の、個性も考え方も異なる生徒がいます。生徒たちと私の共通点はサッカーが好きだということ。好きなもののために最大の努力をする。これが私の生徒に接するやり方です。一人ひとりは能力も素質も違うので、それぞれに見合った目標を探させます。そのために、今あなたの技量はこれぐらいで、いい点はこれ、悪い点はこれと指摘します。悪いところを直せとは言いません。いいものを生かす形で、チームとしての目標に沿って、技量や能力を高めていけるようにアドバイスします。それぞれが目標をもってトレーニングしていけば、チームとしての力になります。

主濱 選手の個性を見ながら、個性に合ったチームづくりをして、強くなっていくということでしょうか。

齋藤 スーパースターが1人いたとしてもチームとして結果を出せません。選手一人ひとりが自分の役割をきちんと理解して戦うことで、結果が出てくると思います。守備の選手が守備だからといって、ずっと後ろにいるのではなく、場合によってはフォワードの気持ちになって戦わなければならない。選手がこれをやり始めたら、チームとして成り立っていきます。

主濱 監督は37年間サッカーの指導をされてきました。30年前と比べて子どもが変わったと思いますか。

齋藤 子どもは変わっていません。目的さえ持てれば本気で頑張ります。

主濱 新聞報道によれば、去年のチームが優勝できたのは「走って走って走りぬいた」からだそうですね。

齋藤 子どもは20キロ走れと言えば走ります。ただ、走ろうとして走るのと、走らされているのでは、力のつき方が違う。チームの中のリーダー的な生徒たちがトレーニングに対して前向きな姿勢を示すことで、皆が引っぱられていきました。全国を目指す者たちはたいしたもんだと、こちらが逆に感心しました。

主濱 決勝のとき、2年生の林君がPKに失敗しました。しかし監督は彼を使い続け、それが同点ゴールへとつながりました。彼に何かアドバイスしましたか。

齋藤 あそこで彼を替えてしまえば、彼のサッカー人生は終わってしまいます。あのときベンチから見ていて、彼の顔面がすっと蒼くなるのがわかりました。彼には「まだ時間がある」と言いました。他の上級生たちも同じように言ってくれて、それが同点のシュートにつながったと思います。PKを彼にまかせたのは私の考えです。失敗も成功も彼にとって新チームの軸になるための心の教育でした。最終的に成功して非常によかったと思います。

主濱 東北には来ないと言われた緑の優勝旗が岩手に来て、県民は心から喜びました。その感動がまだ冷めやりません。本日はどうもありがとうございました。

― 一部抜粋 ―
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