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中学・高校受験:学びネット

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2005/1 塾ジャーナルより一部抜粋

これからの塾 ―3つの課題−

  安田教育研究所  安田理  
     
 
 安田教育研究所は、塾とも学校とも、そして保護者とも接点を持って仕事をしている。そうした中で、最近感じている「課題」とも言えることについてこの場をお借りして少し述べてみたい。

「勉強のしかた」の指導がなおざりになっていないか

 もうだいぶ前になるが、お子さんが私立中学入学を控えたある母親から手紙をもらった。中身は次のようなことであった。
「お陰さまで息子は志望順位の高い私立中学に合格することができた。そのこと自体はとてもうれしいのだが、ここへきて気になるのは、結構難問でも問題を解く能力はあるのだが、授業を聞いてポイントをノートに取るといったことができていない。このまま私立中学に入学してついていけるのか心配である。入学までに何をしたらいいのか」。
確かに、テキストやプリントの問題を解く能力はきわめて高いのに、辞書を引けない、地図帳で場所を探せない…そんなアンバランスな能力の子どもが多くなっている。
進学塾は週3日、4日といった限られた時間で成果を出さなければならない。入学試験はその性格からいって問題を解く試験であるから、必然的に塾の指導も問題を解く訓練にならざるを得ないという側面がある。
以前なら、小学校も中学校も時間的にもっと余裕があり、国語辞典、漢和辞典の引き方、地図帳の利用の仕方、年表の見方…など勉強の出発点になる事柄に時間を割けていた。ところが今やそうしたことに丁寧に時間をかけて指導していられなくなっている。その結果どうなっているか。五十音順、ABC順すらおぼつかない子が多数出現することになっている。

が、学校以上に問題なのは、家庭に、生活の中で子どもにこうしたことを伝える力がなくなっていることではないだろうか。辞書の引き方、時刻表の読み方などは、以前なら親が生活の場面でいつの間にかわが子に身につけさせていたものだ。が、一部の家庭を除けばもはやそうしたことは期待できなくなっている。
それだけに一見問題を解く力は同じでも、子どもの学力の背景は大きく変化していると言える。このことを抜きにして問題を解く訓練に終始するということは、砂の上に楼閣を建てているようなものではないだろうか。学校・家庭が当てにならなくなったからこそ、塾が「勉強のしかた」にまでさかのぼって指導しなければならない時代が来ていると言える。

高校の先生に話を聞くと、高校生でも「与えられた問題を解く」「先生が板書したことをそのとおりノートに写す」ことが勉強だと思っている生徒が圧倒的に多いという。これも小中時代に、教わるばかりで自分で勉強することをしてこなかったせいなのだ。
『合格』へは回り道かもしれないけれど、塾生の将来を考えたら、ぜひ「自分で勉強する力」をつけてあげていただきたい。

「学力」だけを評価しない

 安田教育研究所では学校・塾向けに2種類の機関誌を発行している。その1つである『ビジョナリー』11月号に、大学通信の安田情報編集部長に『予備校化、高校化する大学』という記事を書いてもらった。その中に、関西にある中堅大手大学の学長の話としてこんな事例が載っていた。「ウチの学生は関関同立の学生がいるところではおとなしいのですが、それ以外の学生がいるところでは元気いいのです」。
私は、この部分がとりわけ印象に残った。今の教育の一番マズイ点がここに凝縮されているような気がしたのである。小さいころから育ってきた環境の中で、いつの間にか学力の高い低いで人間を評価してしまうクセが身についてしまっている。時折新聞紙上で目にする結婚斡旋機関の広告。結婚した男性と女性の学歴が対になって紹介されているものだが、見事に大学ランキングに比例している。

若者自身がいつの間にかこれほどまでに学力・学歴を気にするようになっている。そこから生まれるものは、ごく一部の自信家と、圧倒的多数の自信のない人たちではないだろうか。そうした社会は社会全体に「幸せ感」が乏しくなってしまう。どうしたらいいのだろう…。

そんなとき『オランダの教育』(リヒテルズ直子著 平凡社刊)を読んだ。こんな一節があった。
「表彰の対象になるのは、学校の成績が良いということでは決してありません。たとえば、先生の手伝いをよくしたとか、困っている友達をよく助けてあげたとか、とても素敵な詩を作ったとかが表彰の理由です。……表彰された子どもに同級生が大喝采を送り、表彰状を手にしてステージから降りてくる子どもに抱きついて一緒にニコニコ喜んでいる光景を見ていると、競争ではなく共同性を指導すること、学力ではなくあらゆる分野でのその子どもなりの努力を認めること、そしてそれを積み重ねていくことが、どんなに大切なものであるか、心打たれるような思いがしたものです」。

 塾では、学習効果を上げるために、学力別のクラス編成にしたり、席順をテストのたびに替えたりといったことをよくする。塾として親から要請されていることを達成するためにはある程度必要なことと思う。がそのときに、それぞれの塾生が持っている「いいところ」を探してあげて評価してあげるようにすれば、子どもは自信がつき勉強面でもきっと積極的になれると思うのだ。
これも一見遠回りなことだが、塾生が自分に自信を持って明るく前向きな人生を送れるように、是非こうした試みを日常的に続けていただきたい。

「個別」の大流行でいいのだろうか…

 このところの学習塾業界を見ていると、業績がいいところは「個別指導業界」ばかりといった感じがある。長いこと集団授業でやってきた大手塾も、そのほとんどが別部門で「個別指導」を設けている(大学受験予備校でも「個別指導」に手をつけるようになっている)。今や、「個別指導」が学習塾業界の主戦場といった感じすらする。

 業界としては繁栄しているフィールドだが、ここへきて私立中学の先生の話などを聞くと、一方で問題点もあるようだ。「みんなと一緒に勉強するという意識が乏しい」「グループワークを嫌う」「友達に教えたり、教わったりということが苦手」・・・といった話をよく耳にする。これらは何も「個別指導」に限らず今の子に共通するメンタリティーではあるのだが、「集団授業」から「個別指導」になることで一層加速されているということは言えるだろう。

 先日、安田教育研究所のセミナーに東大の教養学部の副学部長に来てもらったが、「東大生は1人のときは優秀でも、ほかの人と協力してグループワークをさせるとまるでダメなタイプが多い」ということを言われた。まさに、「個別指導」の延長線上にあるような例ではないだろうか。

「集団で勉強する」ことの良さ、自分にはない友達が持っている才能に気付く、他人を見ていて初めてわかる自分の個性、競うことで生まれる向上心…など、集団の中に身を置くことの大切さを塾の先生方にも再認識していただきたいし、親にも成績が上がらないからといって安易に「個別指導」に逃げないよう話をしていただきたい。そしてそのためにも、「集団でもしっかりと学力をつけられる」だけの『授業力』を先生方につけていただきたいと願う次第である。

 日夜厳しい戦いを続けておられる塾の先生方からすれば、「そんな悠長なことはやってられない」と言われるかもしれない。が、少し離れたところにいる私だからこそ渦中の人間ではない視点で昨今気になっていることをお話しさせていただいた。 
  1つでも2つでも、遠回りする塾が出てくれたら幸いである。

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