新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」
河合 孝允 校長
新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」が猛威を振るい、人類は塗炭の苦しみに見舞われている。これは、自然災害ではなくあくまで人災である。だが、日がな一日コロナ報道はされていても、人災としての発生源に言及する報道は一つもない。有識者と称する専門家も誰一人として原因追及をしない。世界が「フェイク情報戦」の時代に突入して真実が遮断されているからである。
ところで、OECDが行っている「PISA型学力調査」において、日本の生徒の「読解力」は今回15位まで失落した。出題されたフェイク文章のどこがフェイクであるのかを読み取る「情報活用能力」が育成されていなかったからである。すでに、世界標準の読解力は情報活用能力を用いてフェイク文章を独自的に読み取る能力が試されている。だが、このことに対する日本の教育評論家諸氏の意見は、旧態依然の「論旨の読み取り指導を強めよ」という意見ばかりで、「デジタルデバイス」を用いて調べた独自的見解を、「読解力の中心的能力にせよ」という意見は見あたらない。コロナ報道と同一である。
分子生物学を多少なりとも学んだ人間なら、遺伝子組み換えでの「品種改良動植物」を生み出すには、遺伝子を任意の場所で「切り取り」、トリプレットコドンを入れ替える技術が求められることぐらい常識である。この技術を「クラスタード・レギュラールリー・ショート・パリンドロミック・リピート」と呼び、その頭文字をとって「CRISPR=クリスパー技術」という。
この端緒を見出だしたのは大阪医大の研究陣であったが、この技術を開発したのは米国の大学での研究者たちであった。今、その特許権を巡って米中の研究者が激しく法廷闘争を展開しているのも常識である。では、遺伝子を切り取るクリスパー技術とは何か?
生物はすべて固有の遺伝子地図(設計図)を持っている。しかし、突如として意味不明の遺伝子群がその中に現れる。実はこれこそが過去にウイルスに襲われたときに宿主生物が撃滅したウイルスの遺伝子配列であったのである。宿主生物は自分の遺伝子を切り取って破壊する「ウイルス側の遺伝子配列」を記憶して残しておくことによって、以後のウイルスの侵入を瞬時に敵と認識して攻撃し滅ぼすように進化してきたのである。
この機能を抗原抗体反応と呼び、免疫システムと呼ぶ。今、新型コロナ感染症から回復した人々は血漿中にこの抗体を生み出して持っている。それを利用すれば予防注射としての免疫薬をつくり出せる。だが、ここでもまた米中の激しいイニシアチブ争奪戦が始まっている。世界の覇者の条件がその勝者に与えられるからである。
しかし、これとは全く異なった次元で、つまり覇権主義や国益中心主義ではなく、世界の人々を平等にコロナ禍から救うための独自的抗体薬の開発を進め、開発途上国も含めたどの国にも、技術提供を行おうとしている良心的な先進国がある。それがイギリスと日本の個別の医療研究陣である。このことは国際的協力業務のあるべき姿として世界に広く伝えられてよい。
ところで、宿主生物が記憶として宿すウイルスの遺伝子は、それを用いれば逆に任意のところで宿主生物の遺伝子を切り取り、編集し、遺伝病治療や品種改良動植物をつくり出すことができることにつながる。
近年、病害虫に蝕ばまれた輸入トウモロコシなど存在しなくなっている。これらは致死遺伝子を組み込んで品種改良されており、病原菌や有害虫が絶滅しているからである。品種改良作物づくりの常識である。研究者は当然、さらに有効な致死遺伝子としての新ウイルスの発見や開発に努めている。行き着くところは生物兵器としてのウイルスの開発である。
医療面においても遺伝子治療は本格化している。ダウン症の子は知能の発達が遅れる。それを遺伝子治療で正常化させる研究も進んでいる。だがこのことは副次的に「知能遺伝子」それ自体の研究開発にもつながって行く。
世界の親は頭の良い子をほしがる。天才をつくる「知能遺伝子開発技術」はビジネスとして十分成り立つ新領域である。また、「筋肉制御遺伝子」の組み換え研究も行われており、肉量2倍の牛や豚もつくられている。ヒトに応用すれば筋肉が増強され100mを数秒で走り抜けられるようになる。
今回の新型コロナウイルスの発生源問題も、これらの「遺伝子組み換え新技術時代」の「落とし子」として発生したと見なすことが重要である。どこからか飛んできたコウモリ由来の自然発生的な事件などではない。たとえ善意の研究であれ、誰かがどこかからそのコロナウイルスを持ち込み、それが外部に漏れ出て世界恐慌をもたらしたというのが実相である。当該国家や政府や研究所がそれを認めることはない。コロナ禍の次の時代は「フェイク情報時代」の始まりでもある。
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フェイク情報時代を
生き抜くために
国家容認のフェイクニュースが市民権を持って拡散し、真実を究明しようとする人々を排除する。私たち教育現場にある者は、このフェイク社会を生き抜く生徒のための新たな教育創造を図らねばならない。生徒たちに「ポスト近代化能力」と呼ばれる「意思疎通能力=コミュ力」の育成を図らねばならない。次期指導要領は「情報活用能力」を軸とした「GIGAスクール構想」と一体化されて提起される。オンライン上でのAIを基軸とした?EdTech 授業?は必然化する。その取り組みを私学と塾が一体化して率先して開始すべき時代である。世界に乗り出す日本の子どもたちのために!
ところで今、日本の生徒たちは次の詩(記事内上部『佐藤春夫 犬吠岬旅情のうた』を参照)をどう読み取るだろうか? その読解力が問われている。今という閉塞した時代の「思春期のわが身を知る」ということにおいて!
国難の今、皆様と志高く子どもたちの未来創造を図ってまいりたいと思います。ご自愛の程心よりお祈り申し上げます。
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