同朋学園内
単位互換制度など
学びの場を広く開放
同朋大学の歴史は、1826年名古屋市の東別院に学問所「閲蔵長屋」が開設されたことから始まり、実に186年もの歴史を持つ。後に現住所に定着し、「同朋大学」に改名して、新たなスタートを切ったのが1959年、約50年前だった。学園を構成する名古屋造形大学は小牧市だが、幼稚園、高校、名古屋音楽大学は本校と同じ敷地内にある。3大学同士は単位互換制度もあり、音楽大学や造形大学で履修した科目は、所定の試験で本校の卒業単位に認定される。また、興味のある授業は自由に聴講でき(単位認定はなし)、学びを深めたい学生には充実した学習制度だ。
本校のメインは約600人の学生が在籍する社会福祉学部。福祉教育コースなど6つのコースに分かれる社会福祉専攻と、子ども福祉コースなど3コースの子ども専攻がある。また、文学部は仏教学科と人文学科に分かれ、人文学科には映像文化コースなどユニークなものも用意されている。いずれも少人数制で、教員と学生の距離が非常に近いのが一番の特徴だ。さらに1年次から専攻科目の学習が始まり、ゼミを導入するなど、自主的に学習できる環境を実現している。
加えて、一般社会人にも開放されている仏教専修の別科は、仏教を短期間で本格的に学べる科であり、年齢や職業、経歴の違うさまざまな人々が集まり、学生・教員ともに学びあう場となっている。
阪神・淡路大震災の
ボランティア
体験から生まれた
国際・社会貢献実践コース
福祉を志す学生が多いこともあり、普段からボランティア活動が活発な本校。阪神・淡路大震災の際も真宗大谷派関係の研修道場を拠点とし、延べ1,000人以上の学生がボランティアに参加したという。後にその感想を綴った冊子を作成したが、参加者全員が「自分自身を振り返ることができた」「逆に学ばせてもらった」という意見だった。体験を通し、人をサポートすることが、学生たちの成長につながるという確信が、国際・社会貢献実践コースにつながった。震災などの非常事態だけでなく、海外労働者が多いこの愛知県で、国内外の社会的弱者とのつながりを求め、彼らが人間らしく生きられるよう、どのようにサポートしていけばいいのかを含め、多文化社会に対応できる福祉人材の育成を目指す。さらに国内だけではなく、国際社会への貢献も視野に入れる。
今回の東日本大震災も同コースの学生が中心となり、ボランティアを進めている。名古屋で活躍する災害対策NPOの代表は、阪神・淡路大震災のボランティアで指揮をとった本校の元職員でもある。連携を取りつつ、息の長い活動は続く。現場と世論を引っ張る人材が確実に輩出されている。
一人ひとりを尊重する
人材を作る
全学生取得可能の
傾聴士認定を新設
学びには具体的な活動が一番大事だという尾畑学長。それにはコミュニケーション能力が必要ということから、心理学コースが立ち上がった。互いに尊重し合えて、初めて円滑に物事が進んでいく。心理に強い福祉人材になってほしいという願いが込められている。
また、全学生が聴講できる傾聴士認定制度も開始。昨年の介護制度制定10周年シンポジウムの際、良いケアマネージャーになるには、「一人ひとりを尊重し、利用者の声に耳を傾け、題に応じて適切にアドバイスができること」。それには自分の思い込みを排除して、利用者の話をしっかり聞ける人でなくてはならない。その技術を育てる方法として、傾聴を推進することとなった。地域福祉でも活用されている傾聴だが、話を聞くだけで一人身の高齢者が心を癒され、元気になっていくという結果が各地で出ている。経営効率が求められている世の中で、今後、さまざまな場所で必要になる技術と言われ、本校がいち早く認定制度を作った形だ。 |
「Doプラザ閲蔵」は
地域に開かれた大学を実現
敷地内にあるDoプラザ閲蔵は、大学図書館、カフェ、ホール、会議室などが併設され、一般開放されている。ここで、子ども学専攻の学生たちが、子育て支援ボランティアイベントを頻繁に行っており、地元の若いお母さん方に好評だ。ホールでは音楽大学の学生や卒業生らによるライブが行われることも多く、地域交流の拠点ともなっている。また、釈迦の誕生日、親鸞の命日前後には、本校ならではの宗教行事「人生を考える集い」が開かれ、時のテーマに沿って、学生の感話と教員の講話が行われる。さまざまな人生経験が語られる中、参加者も自らを見つめ直す機会となっている。
「夢とロマンを語り合える学校作りを」が尾畑学長のマニフェストだ。一人ひとりの学生とじっくり接し、社会に羽ばたかせてあげたいという尾畑学長の願いは、地域に開かれ、多くの人々との交流の中で学生を育てる本校で、ますます具現化していくに違いない。
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