掲載:塾ジャーナル2023年1月号

業界時評137『分断化した社会での学び…1』


教育評論家/放送大学非常勤講師 小宮山 博仁


欧米だけでなく、国葬と統一教会の問題で日本も一気に分断化した社会へ進もうとしている。多くの市民がストレスを受け、判断する力が弱体化してくると、さらに分断化は進むような気がしてならない。100年に1度あるかないかの感染症拡大・そして収束の見通しが立たない、そういう社会では、時として労働者は文化人バッシング、資産家は一人勝ちを決め込み、消費を蓄財に振り向けることに熱心になる。

成熟した経済社会で不安感を持つ富裕層は、そこそこの消費はするが、危機に対応するために貨幣を貯める行動をとることが多いと指摘する金融経済学者もいる。分断化する社会の要因は「経済格差」だけではない。今回の日本の状況をみる限り「文化資本」の違いまたは格差も、分断化した社会を助長しているように思えてならない。

今年度からは、分断化した社会を修復するための学びについて、何回かに分けて考えていこうと思う。今回は欧米と日本の文化の違いを、ざっくりと調べてみることにしよう。

(1)欧米の文化を考える

最近書評のための本を1冊読んだが、日本と欧米の文化の違いに改めて気がついた。その本のタイトルは『世界の名作を読む』(角川ソフィア文庫)である。この文庫本を読むと欧米の文化は、キリスト教の影響を強く受けていることがわかる。

個人的な体験になるが、海外の小説はあまり読んだことはない。なぜなのかと、メタ認知を働かせて考えてみたら、次のようなことが要因の一つではないかと思うに至った。小学校から高校までの国語の教科書に登場するのは、圧倒的に日本の小説・物語であったことだ(半世紀以上前の話だが)。

高校や大学の時に外国の作品をもっと読んでおけばよかったと、今頃反省しているが、チャレンジしたことは何回かあったものの、そのままである。また半世紀前の世界文学全集には、ロシア・フランス・イギリスといった国の作家の本がかなり入っていたという記憶がある。

(2)日本の文学を考える

日本の小説や童話は、社会科学系を出た者にしては、けっこう読んだ方だと思っている。それは小・中・高の国語の教科書の影響が強かったことは明らかだ。『城の崎にて』を教科書で読むと、他の志賀直哉の短編はほとんど読んだ。同じように『蜘蛛の糸』に出合えば芥川龍之介の著作集を読む、『坊ちゃん』にふれれば他の夏目漱石の作品を読む、といった連鎖反応が私の場合は生じた。

このような流れで太宰治、井伏鱒二、川端康成、井上靖、森鷗外、永井荷風、谷崎潤一郎、安部公房といった文壇史に登場する作家の作品を読むようになった。

また、学生時代から塾などで子どもに国語を教えていたことがあり、文庫になっている昔話を中心にかなりの作家の本を読むようになった。いわさきちひろ、松谷みよ子、小川未明、あまんきみこ、安房直子、斎藤隆介、佐藤さとる、神沢利子、灰谷健次郎、宮沢賢治、いぬいとみこ、新美南吉、坪田譲治、浜田広介、これらの作家の作品はほとんどが文庫になっていた(1970年代の時には)。教えるという職業に就いたということもあるが、教科書に掲載された作品がきっかけで読み始めた本がほとんどであった。

日本の小説や童話といった作品を読むと、知らず識らずのうちに日本の文化資本を身につけ、しかも自分の立居振舞に影響を与えてきていたことに、P・ブルデューが広めた文化資本の意味を知り、気づいたという経験がある。私の読書のきっかけは教科書であったと言ってもよいかもしれない。

一方、世界の文学作品の読書歴は大変貧弱なものであることを告白しなくてはならない。グリム兄弟およびアンデルセンの童話は文庫で読んだ。小説は学生時代にもてはやされていたカフカの『変身』、大学の語学の授業のテキスト、サン=テグジュペリの『星の王子様』、経済学のテキストに出ていたD・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、題名にひかれてチェーホフの『かわいい女』『犬を連れた奥さん』を読んだ。

学生の頃に大ヒットした『卒業』(ダスティン・ホフマン主演)という映画を観て元の小説を知りたくなり、ペーパーバックを読んだ(まだ邦訳がなかったので)。この時、映画のシーンで意味がよくわからなかったことが、原作を読んで疑問が解けたことをよく覚えている。

今思うと、経済学者ガルブレイスが『ゆたかな社会』を書いた頃の、アメリカの中産階級に言及した小説であった。主人公ベンジャミンは高学歴で、スポーツカーを乗り回すまだ職についていない若者で、父親はそこそこ資産のあるインテリであるという想定だ。婚約者エレンの母親は、アルコール依存症になっていて、生きる目的を失っているお金には不自由しない中年の女性である。

ゆたかな社会で成功したと思われるアメリカの中産階級の家庭のことを描いた内容で、インパクトは弱いが、単なるラブストーリーではない、社会派小説に近いと直感的に学生時代に思っていた。このベンジャミンの悩める中産階級の家族は、半世紀後の日本の富裕層の行動と重なる部分が多い。

そのような時期、文芸評論・小説家の伊藤整の作品をかなり読んだ。直接のきっかけは我家の本棚に『女性に関する十二章』という題の新書があったからだ。それを手にとって高校生の時に読んだ記憶がある。

日本文学の発展にかなり貢献したと言われている伊藤整は、1950年代から1960年代にかけて活躍した文芸評論家であり小説家(詩も含む)である。彼は団塊の世代にも影響を与えた文化人であった。日本の文芸作品を読んでいるうちに、伊藤整の評論にふれることが面白くなってきていた。『得能五郎の生活と意見』や『女性に関する十二章』、その他文芸評論集に目を通したが、このような過程で日本の文学から、日本の文化を意識せず身につけていったのかもしれない。

(3)文化資本とは

私は親の文化資本を引き継いでいたとは、つい最近まで全く思ってもみなかった。しかし40代にP・ブルデューの文化資本やハビトゥスという用語に出会ってから、家から引き継いだ文化資本がかなりあることに気がついた。

 2007年から全国学力・学習状況調査が始まったが、家庭での学習環境を調べている。これは文化資本が学力に及ぶ影響が大きいことが、エビデンスとして認められたからと言ってもよいだろう。そのため、親子の会話時間はどのくらいか、読み聞かせをしているか、朝食をとっているか、本棚に本がどのくらいあるか、家庭での学習時間は、新聞や本を読んでいるか、といった質問事項は定番となっている。

特に読書量と家庭の本棚については、他の国でも調査されており、学力との相関関係が強いことがわかっている。そのため教育熱心な親は、多くの本を与え、本を読むように子どもに促すという話もよく聞く。受験関係の記事では、読書時間を増やして本を揃えることの大切さを親子に伝えようとしている。

しかし、ここで重要なことが見逃されている。学習環境は子どものことだけに目が向きがちである。しかしP・ブルデューが、フランスが階級社会であることを論証するために考えた用語(概念)が、(親が身についている)文化資本である。このことが忘れられている。教育熱心な親も文化資本のことはあまり知らない。次回はこのことを詳しくお伝えしたいと思う。

プロフィール
教育評論家/放送大学非常勤講師
小宮山 博仁 氏


1949年生まれ。教育評論家。放送大学非常勤講師。最近は活用型学力やPISAなど学力に関した教員向け、保護者向けの著書、論文を執筆。著書:「持続可能な社会を考えるための66冊」(明石書店・2020年)、『眠れなくなるほど面白い数学の定理』(日本文芸社・2018年)、『眠れなくなるほど面白い数と数式の話』(日本文芸社・2018年)、『大人に役立つ算数』(角川ソフィア文庫・2019年)、「眠れなくなるほど面白い算数と数学」(日本文芸社・2020年)、『危機に対応できる学力』(明石書店・2022年)など。


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