文理学科設立で
変化する選択肢
私立から公立へ
この最大の原因は、リーマンショック以降の経済不況とデフレによる個人所得の減少、あるいは停滞にある。高校入学から卒業までの学費が、大きな負担になってきたからだ。しかし、原因はそれだけではない。中高の6年間をかけて難関国立大学に行くのか、それとも充実した3年間の高校生活を送り、同レベルの大学へ進学するのか、どちらがより望ましい選択肢かということに多くの人々が気づき始めたからではないだろうか。難関私立中学に入学することが、すなわち最難関国立大学への入学保証になり、その向こうに輝かしいキャリアが待っているという理想が、単なる夢に終わるのではないかという目覚めに近いものに人々は気づき出している。通塾への開始年齢を遅らせることで、教育費をスリム化できるだけでなく、子どもを長い受験の束縛から解放することもできる。
こうした傾向は大阪の「文理学科」だけでなく、京都の堀川高等学校や西京高等学校においても同じように見られる。【表1】を見ていただきたい。2012年と2013年の大学合格者に占める公立高校出身者の割合を示している。この合格者数には国立付属高校は一切含んでいない、すべて公立高校生の数だ。東大・京大・阪大は、昨年と今年の公私立対比はほとんど変わっていない。しかし、神戸大学の結果は明らかに私立高校から公立高校へと推移しているのがわかる。
また、【表2】を見ると、神戸大合格者の7割近くが、近畿一円の高卒生で占められている。この二つの資料から、神戸大学は、以前よりもいっそう地元密着の国公立大学=公立高校出身者大学に変わってきていることが読み取れる。現実に大阪府の北野高等学校は、2012年度の京大に56名、阪大に55名、神大に27名、2013年度には京大に65名、阪大に67名、神大に28名を合格させている。天王寺高等学校を調べてみても、2012年度の京大に51名、阪大に49名、神大に28名、2013年度は京大に56名、阪大に51名、神大に29名を合格させている。
一方、京都市立堀川高等学校は、2012年度の京大は62名、阪大は23名、神大は7名であり、2013年度は京大が49名、阪大が6名、神大が10名だ。また、京都西京高等学校は、2012年度は京大に25名、阪大に24名、神大に19名、2013年度は京大に29名、阪大に19名、神大に25名となっている。どの高校も明らかに、まずは京大への進学意識が高く、続いて阪大であり、神大への進学意識は他の2校に比較すれば、かなり低いことが読み取れる。公立上位校ですら神大は二番手校になっている。今後は東・京・大(ここに東京工業大学を加えた東・東・京・大)の合格者数だけが評価対象になるのではないか。
公立高校躍進の鍵
私立高校と肩を並べる
「進学」の文言が
では、なぜ兵庫県や奈良県、和歌山県にはこうした傾向が見られないのであろうか。どうやらここに公立高校躍進の鍵が隠れているように思われる。
1999年に発表された「大阪の教育向上プラン」は、向こう10年かけて、幼稚園から高校までの教育制度をさまざまな観点から改善しようとするものであった。3つの目標、10の基本方針、35の重点項目を掲げて船出をしたものの、実際には結果を出すことなく10年を迎えた。とりわけ基本方針のその1が「小・中学校で、子どもたちの学力を最大限伸ばします」とあったにもかかわらず、文部科学省が実施する「学力テスト」で最下位層の中に埋もれたままであった。また、「学校の自主的な取り組みに対する教育委員会の支援」という項目の中に、「校長を中心とした学校の自主的・自律的な運営を確保する観点から、学校裁量権限の拡大を図る」とあり、その具体的取組みとして、「各学校における特色づくりを推進するため、予算の弾力的執行ができるよう、校長の権限を拡大する」「校長がリーダーシップを発揮し、特色づくりをはじめ、教育改革を積極的に推進するため、校長の具申を最大限尊重しながら人事配置を行うなど、校内の組織体制づくりを支援する」という指針があったにもかかわらず、何も具体的な施策が行われないまま満期を迎えた。
そこで新たに2009年6月「進学指導校設置」の計画が打ち出された。その事業目的は「豊かな感性と幅広い教養を身に付けた、社会に貢献する志を持つ、知識基盤社会をリードする人材を育成する」ことにあり、その概要は、「生徒の学習ニーズや保護者・府民の府立高等学校における進学指導の充実を求める声に応える」ため、府立高等学校の特色づくりの一環として、10校を「進学指導特色校」とし、「文系・理系ともに対応した進学指導に特色を置いた専門学科を設置する」というものであった。従来「進学」の2文字がタブーであった教育現場に、私立高校と肩を並べる文言が躍り出たのである。無論、ここに当時の橋下徹府知事の強い想い入れがあった。
他府県にみる
自由競争と市場原理
次に京都府・市教育委員会の動きを見てみよう。以前の京都の教育制度は「類・類型制」であった。これは高校合格者数を地域ごとに割り当てる方式であり、高校の学科を「T類」(普通科)と「U類」(進学科)の二つの類に分けるものであった。この類区分の決定は、本人の意思ではなく、中学3年時の学力で分ける方式であった。このため、各校とも「U類」の進学実績を伸ばすことに注力したため、授業時間の多さやクラブ活動の制限などにより、かえって生徒の反発を買う結果になった。こうした行き詰まりを打破するために、1996年、京都府立嵯峨野高等学校に「こすもす科」が設立されたのに続き、1999年には京都市立堀川高等学校に「人間・自然探究科」が発足した。また2004年からは洛北・西京高等学校の「中高一貫コース」が始まった。こうした動きは、学校選択の拡大や新しい学科設立により「学校の特色」づくりを活発にすることで、教育界に自由競争と市場原理を導入するものであった。従来、地域の枠に縛られていた子どもたちが、自らの意志と努力によって進学する学校を選択できる機会を得たのだ。これにより“堀川の奇跡”が起こり、その後に“西京の奇跡”も生まれてくる。
一方、兵庫県も2008年に「県立高等学校教育改革第二次実施計画」を打ち出したものの、「進学」の2文字はタブーのままである。今年は第三次実施計画の提出年である。今後の動きに注目したいが、私立志向が強い兵庫県では、相当ドラスティックな改革をしない限り、世間の視座を変えることは難しいであろう。また、和歌山県では2004年に向陽高等学校に、2007年に桐蔭に中学部ができ、中高一貫校となった。創設当初はかなり人気があって、多くの受験生を集めたが、卒業生の進路が安定しないことを保護者から見切られ、決定的な動きにはなっていない。今年、桐蔭は中高一貫生の最初の卒業生を送り出したが、京大4名、阪大10名、神大16名であった。奈良県では1973年に奈良女子大付属が中高一貫校に変わった以外に教育制度に関する改革は見られない。奈良・畝傍・郡山の三公立高校と東大寺・西大和・帝塚山・奈良・智弁学園の私立高校との絶妙なバランスと、私学へは地元奈良だけでなく、大阪や京都から生徒が流入することで、高い学力を維持できている。
主要5塾の「文理学科」
合格者の動向
大阪や京都の教育委員会の本音に近い動きに、保護者は当然のことながら強い関心を持つ。学校説明会や文化祭などに毎年多くの児童生徒やその保護者が見学に来られる。そこから自分の志望校を決め、その学校に入るにはどの塾を選び、いつ頃から行かせたらよいのかという思案も始まる。ここにも自由競争と市場原理が大きな圧力となって働いている。
【表3】は今年度の主要5塾の大阪府立高校「文理学科」の合格者数の一覧だ。何と言っても馬渕教室の北野高等学校94名は圧巻だ。入学者の59%が1つの塾で占められている。1学区の生徒を徹底的に鍛え上げて、北野に特化した進路指導をした結果だと推測される。「選択と集中」―これに勝る戦術はない。これまで宿敵であった類塾に差をつけることができたが、来年度の類塾の北野への巻き返しがどの程度になるかによって、当面の文理学科への趨勢が決まるものと思われる。しかし、類塾も合格者総数では引けを取っていない。わずかな高校に集中するのではなく、大阪府全域に万遍なく卒業生を送り出すのも1つの戦略である。
来年度から学区制が撤廃されることにより、大阪府在住の生徒であれば、どこからでも大阪府下の高校を受験できる。ここにも橋下氏が進める競争原理が見られる。大手塾の資本力によって、進学塾の基盤である豊富な広告宣伝、精選された教材、寄らば大樹の陰に集まる講師・職員を、戦略に合わせて選択し、集中を図ることができる。地元でこつこつと子どもたちを育成してきた中小の塾は、学力的に優秀な生徒を確保することがますます難しくなる。昨年度の文理学科10校の競争率は2.889倍、今年は2.885倍である。ほぼ4万6,000人台の生徒が中学校を卒業することに照らせば、約1割の4,600人ほどの生徒が文理学科を受験している。学区制が廃止されてもこの数字に変わりはないので、統一したシステムで生徒の育成ができる大手塾のほうが圧倒的に有利である。
公私立間の
生徒争奪戦が激化?
しかし、この選択と集中が同時に思わぬ副作用を生む。文理学科の格差だ。予備校が実施する模擬テストの結果を見ても、北野高等学校の京大合格者数は来年度80名台、再来年は100名近くになると思われる。23年間、京大1位の看板を掲げてきた洛南高等学校もトップの座を譲らざるを得ないかもしれない。こうした傾向はますます拍車がかかり、東大への進学者数を増やせば、北野の地位は日比谷・西・戸山高校を抜いて全国的にも確固たるものになるであろう。それに続いて、天王寺・大手前、さらに茨木・三国丘、そして残りの5校が続くといった格差が生まれる。これにより大手塾は、さらなる上位5高への選択と集中を働かせるので、下位5校との開きが一層大きくなる。こうした意味合いを考えると、3つの問題点が浮き上がる。1つ目は取り残された文理学科5校の行く末だ。進学校の体をなしていても、市場の評価がない限り、優秀な生徒は来ない。たとえ来たとしても、先述した京都のように生徒に反発されてしまう。北野高等学校や堀川高等学校は1年生の時から予備校のような進学指導をしているわけではない。体力を付けたり、自らが決めたテーマに取り組むことで、「学びのシステム」を学習し、それに伴って「耐性」を身に付けることを指導理念としている。こうした学校の特色をどうつくるかが最も大切だ。2つ目は私学のスタンディングポイント。公立高校が難関国立大学への合格者数を伸ばせば、従来、阪大・神大に二桁前半を出していた私立高校の命運が尽きることにならないか。ましてその学校が6ヵ年一貫校であれば、入学者を増やすことは難しくなる。存亡の危機が訪れるであろう。私学としてどこに立脚点を置くか、そのことが試される。3つ目は文理学科以外の公立高校の特色をどのように打ち出すかだ。「キャリア教育」「グローバル教育」等の取り組みが行われているが、グローバル化を進めるのであれば、秋田の国際教養大学のような本格的な取り組みを目指す必要があると思う。
いずれにせよ、今後3〜5年の間に近畿圏では、児童生徒数の減少も手伝って、公立校の統廃合が進み、生き残りを掛けた公私立間の生徒の争奪戦が激化することは間違いない。その中で、親や子どもの進路や進学に対する意識も変わっていくであろう。そうした変化とニーズを素早く読み取り、自塾・自校の強みに合った施策を選択し、さまざまな資本を集中的に投下する施策を画定する以外に道はないと思われる。
岡田 雅氏プロフィール:
1949年生まれ。父親の仕事の関係で愛知・東京・静岡・愛知と小・中・高校時代を転地する。京都の大学を卒業後、広告代理店に入社したのち、駸々堂出版、ワオ・コーポレーションを経て独立。現在大手塾向けテキスト・e-ラーニング教材、英語・国語の音声教材、小学生用オリジナル教材の企画・制作・販売を主に行う。 |