――学習塾が通信制高校を開校させた経緯をお聞かせください。
田原 美里町で廃校になった小学校をどう活用するかを話し合っていたとき、学校はやはり学校という形で残してほしいという地元の要望がありました。通信制は年に2週間程度のスクーリング(対面指導)がありますが、基本的には自習学習をするわけで、交通の便がそう良くはなくても通信制なら可能ではないかということになったわけです。
――そこで田原校長が名乗りを上げたのですか。
田原 もともと地元の方の陳情により動き出したのです。私は30年前から個人塾を経営しておりまして、塾経営と平行して単位制高等学校、向陽台高等学校和歌山キャンパスの経営にも携わっていたことがありましたが、その学校ではホームヘルパーの養成を行っていました。そして実習でお世話をさせていただいたお年寄りが生徒の実習ぶりをたいへん評価してくださり、また偶然にもその方が美里町の方だったことから「和歌山市に田原学園というホームヘルパーを養成する学校があるらしい」と口コミで田原学園の名前が伝わっていったようです。
――少子化時代に学校法人を設立するのはたいへんなご苦労があったのではないでしょうか。
田原 少子化といわれながらも不登校の生徒や高校を中退する子どもは増え続けています。それに学び方も多様化し、むしろ通信制の高校は需要があるのではないでしょうか。学校法人設立については私たちの先輩というか、同じ通信制高校を開校されている福山市の東林館高校という学校にいろいろお教えいただきながら学校法人設立までこぎつけました。
――学校法人を設立するには少なからず資本が必要となりますね。
田原 今は規制緩和でそう資本力は必要ではありません。校舎も借りていますし。
――開校までどれくらいの時間がかかりましたか。
田原 通信制を開校したいと漠然とした考えは2〜3年前からありましたが、美里町で開校に向け具体的に動き始めたのは1年半ほど前です。
――開校から4か月目ですが、どんな感想をお持ちですか。
田原 開校まで地元の多くの方々にお世話になり、その方々をお招きして5月21日に開校式典を行いました。多くの人の協力を得て開校することができ、ありがたく思っています。また、この地に不思議な縁を感じています。私の父が警察官になって初めて赴任したのが、この美里の地だったんです。和歌山県に廃校になった学校は多いのに、懐かしいこの美里で開校できたのですから、縁を感じずにはいられません。
――人事面でその道のエキスパートが就任されていると聞きましたが。
田原 元和歌山市教育長に副校長と教頭を兼務してもらっています。アドバイザー役に元県立高校の校長が、労務関係の相談役に商工会議所と銀行のOBの方が就いてくれました。理事長は夫の田原久一が務めています。
――介護施設も経営されているとか。
田原 和歌山市内で介助サポートつきマンション「元気村」を経営しています。
慶風高校では3年間で30時間以上の特別活動行事に参加しなければなりません。天文研究、福祉、農業体験、美術鑑賞や海外語学研修などが特別活動として考えられますが、福祉ボランティア体験なら「元気村」で実習できます。やっていることがみんな、どこかでつながっているんですね。
――今後、どんな生徒さんに入学して欲しいですか。
田原 一つは不登校や高校退学で悩み、挫折した子どもたちの癒しの学校でありたいと思っています。ここにくれば人生をリセットできるよという学校でありたい。3年間で生きる目的を見つけに来て欲しいですね。それから全日制、定時制、通信制という高校をライフスタイルに合わせて選んでもらいたいと思っています。有名なサッカー選手の中には練習時間を確保するために通信制を選ぶ選手も多いと聞きます。マイナーイメージで通信制を選択するのではなく、多様な学び方の一つの選択肢として通信制を選ぶ時代が来ていると思います。
――11人の野球部が甲子園を目指します――
――野球部が県高野連加盟を承認されましたね。
田原 和歌山県では通信制高校が高野連に承認されることは初めてのことです。何より嬉しかったのは和歌山県高等学校野球連盟の会長さんが「通信制高校が甲子園を目指すということはすごく意味があることです」と言ってくれたことです。もう野球部の後援会もあるんですよ。
――開校から間もないのに野球部はもう選抜の予選ですね。選手の様子はどうですか。
田原 自信をね、持つようになりました。4月ごろを思い出すと、どうなるかと心配もしました。11名の部員のうち、野球の経験がまったくない子どもたちが半数いましたから。ユニホームの着かたもよく分からなかったくらいでね。それが最近、やる気を出してきた選手たちを見て、お母さん方がものすごく喜んでくれました。「あの子があんなになるか・・・」と。
そこで、慶風高校野球部の練習場に案内していただき、谷所憲之監督、濱野晃裕主将(3年生)、マネージャーの雑賀由衣さん(2年生)に話を伺った。
――高校野球で“25歳の監督さん”というのはお若いですね。
谷所 監督としては若い方だと思いますが、若い分、子どもたちと一緒にプレーができる点を生かして練習したいと思っています。
――監督になられたきっかけをお聞かせください。
谷所 もともと有田市の野球振興協会「夢クラブ」というところに勤めていたのですが、田原校長から野球部の監督をやってみないかと声がかかりまして、すぐに引き受けました。私自身8年前、選抜で甲子園に出場した経験がありますので、今度は監督として生徒を甲子園に送り出したいという思いがあります。
――明日、和歌山大会の予選で高野山高校と対戦されるそうですね。
谷所 素人の選手もいる中、強豪チームとの対戦は不安もあります。ただ、選手たちはここ3か月で顔つきが変わりました。挨拶の仕方ひとつでも以前とは違います。積極的になった選手がどんな風に高野山高校にチャレンジしていくかが楽しみです。応援してくださる皆さんに、来年も声援をいただけるよう、さわやかな試合をしたいと思っています。
――練習場が学校から離れていますが。
谷所 いつも、ここ農村総合センターの球場をお借りしています。学校から朝9時に車でここまでやってきて、夕方5時まで練習しています。普段の練習時間は他校よりうちのチームは取りやすいのが強みです。
――どんなチームにしていきたいとお考えですか。
谷所 もちろん勝つことにこだわっていきます。ですが、それだけではなく、野球を通じて人生の勉強をして欲しいですね。社会に出てから私自身、野球から得たものが役立っていると思えることが多いので、選手たちが多くを学んでいけるようなチームにしたいと思います。狙うのは甲子園です。
――濱野君はこれまで野球の経験がありますか。
濱野 中学2年生までやっていました。守備はセンターで2番を打っていました。
――もう一度野球をやることについてどう思いましたか。
濱野 校長先生から「野球をやれるよ」と聞いた時はうれしかったです。最初は僕と2年生の北山(裕也)君と2人でスタートしました。今は11人になりましたが。
――チームのいいところはどんなところですか。
濱野 声が出るところ。
雑賀 学年を超えてみんな仲のよいところ。
――マネージャーは普段どんなことをしているのですか。
雑賀 ボール拾いとスコア表をつけています。スコア表をつけるのは初めてで難しいですが。
――明日、選抜の予選試合を控えてどんな気持ちですか。
濱野 緊張しています。ただ、普段どおりの野球をしたいです。練習期間が3か月のチームだけど、まずは1勝という目標をみんなで目指します。
雑賀 チームのみんなに「悔いのないように」って言いたいです。
グラブやバットを手にすることに慣れていないばかりか、チームプレーの経験もほとんどない子どもたちが、練習を重ねるほどに顔つきが変わり、仲間意識を持ち、まずは1勝を目指し、甲子園を夢見ている。11人の高校球児たちは谷所監督が言うように、すでに野球を通じて人生の勉強を始めている。 |