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2005/1 塾ジャーナルより一部抜粋

大学改革と大学選び

  一橋大学大学院 社会学研究科 教授 中嶋浩一  
     
 
前回『塾ジャーナル』2004年1月号で、「大学教育の現状」と題する一文を寄稿させていただいた。そしてその中で、来たるべき大学改革の嵐の中で大学教育はいかにあるべきか、について発言させていただいた。その直後の2004年4月、いよいよその大学改革の本命としての「国立大学の法人化」がスタートし、本稿を書いている時点で半年余りが経過した。そこでこの機会に、これまでの大学改革についてその流れをまとめ、またその中で受験生の「大学選び」についての今後の予想を述べてみたい。

大学改革の流れ

戦後発足した「新制大学」は、戦前の教育のゆがんだ姿への反省のもと、オールラウンドな人格の養成を目指す明確な理念に立ってカリキュラムなどが定められた。しかしその理念の実現が、画一的な「大学設置基準」による、上からのコントロールのもとに遂行されたので、しばらくすると大学教育が当初の理念どおりに機能せず、日本の学問レベル・教育レベルの低下が顕著になってきたと指摘されるようになった。このことは、「護送船団方式」と言われる戦後日本の金融政策が、経済のダイナミックな発展に伴って実状に合わなくなってきたのと相通じるものであると言えよう。

これを改革しようとする流れの始まりは、1984年の「臨時教育審議会」の発足にあると言える。そして87年には「大学審議会」が設置され、91年に「大学設置基準の大綱化」が実施された。

この「大綱化」は、それまで「設置基準」によって学部・学科の編成やカリキュラムなどが細かく画一的に規制されていたものを、「大綱」すなわち大枠のみで規制し、各大学での自主的な改革の実施を可能にするものであった。

この翌年の92年から97年までの間に各大学で一斉に、学部・学科の再編成やカリキュラムの改革が行われた。しかし後になって考えてみると、これらの改革は、相変わらずの「横ならび」の改革であったように思われる。結果的には、どの大学も、それまでの硬直した一般教養教育の体制を大幅に改革することとなった。この改革が果たして適切なものであったのか、一般教養教育の理念はどうなったのか、そもそも大学での教育はどうあるべきなのか、などについては前回の寄稿で検討したところである。

この大綱化と前後して実施された改革が、国立大学主要校での「大学院重点化」である。

これは、学問・教育レベルの高度化に伴い、主要大学で教育体制を大学院中心に改編しようとするもので、ある程度の予算の増加とともに、大学院教育体制の整備、学生定員の増加などが実現した。教官の肩書が「○○学部教授」などから「大学院○○研究科教授」のようになったのもその現れである。

同じような流れとして、経営学修士のための「MBAスクール」、弁護士の養成を目的とした「ロースクール」、あるいは上級公務員の養成を指向した「政策系大学院」などの設置のラッシュもあった。これらが大学にどのような変化をもたらしたかについては、次項で検討する。

ついで2001年、「遠山プラン」なる改革方針が発表され、矢継ぎ早の改革が進む。

これは、「トップ30」という標語のもと、全国各大学から優秀な研究プロジェクトチームをいくつか選び出し、予算を重点的に配分しようとするもので、翌年から「21世紀COEプログラム」として発足したのは記憶に新しいところである。

この、研究中心の「COE」に対して、教育中心の「特色ある大学教育支援プログラム」(略称「特色GP」)も発足した。

そして2004年、国立大学の「法人化」を迎えることとなった。

これは、これまでは国の行政機関の一部であった国立大学が、自己決定権と自己責任を持つ「法人格」を与えられ、独立機関として歩み始めた、ということである。それまでは官僚の一翼を担っていた「国立大学教官」は、公務員でない法人職員としての「教員」ということになった。

この制度の発足のもたらす意味については次項で検討することとして、ここではもう少し、この法人化の内容について説明をする。

この制度により、大学は大幅な自由度を持って、学部・学科の再編や人員の配置、カリキュラムの編成、企業との共同研究や研究成果の社会への還元、などを自主的に決定できるようになった。また、経営方針の決定、会計の公正化、労使関係の整備など、一般の企業並の運営体制も求められることとなった。

しかし、これでこれまでの国立大学が私立大学と同じような状況になった、というわけではない。経費はほとんどこれまでどおり、国庫から「運営交付金」として支出されることになるので、やはり私立大学とは大きく異なっている。ただこの運営交付金は、6年の後に見直しが行われ、成果が上がらなければ減額されることになっている。各大学は、文部科学省の認可のもとに「中期目標・中期計画」なる実行計画を策定し、これの遂行を明確に求められているのである。

以上のほか、いくつかの「大学の統合」などの改革も進行中であるが、これについては検討を省略する。

大学改革で大学はどう変化するか

大学の置かれた状況の変化を一言で言うと、「自由度が増えた代わりに厳しい競争を強いられ、またその活動が厳しく評価されて優劣がつけられるようになる」ということであろう。これは、国立(大学法人)・公立・私立を問わず、同じ状況である。これはまた、昨今の金融機関の状況とも比較されよう。以下、考えられる具体的な状況変化を、思い付くままに列挙してみる。

まず、教員の負担が非常に増加する。特に、大学院重点化の実施された大学では、教員数が同じで大学院生の人数が増加したのであるから、負担の増加は明らかである。このため、副作用として「学部教育の負担の軽減」が考えられる。「学部」というのは、大学院以前の、1〜4年生の学生のことである。実際、募集定員を減少させている学部も存在する。

確かに、教員がこれまでより必死で働くようになり、またいろいろな予算も付けられるようになって、日本の大学の研究・教育の国際的なレベルは上昇するだろう。しかし現実には、COE研究費の申請やその消化のために多大の時間とエネルギーを割かねばならず、研究の中心となる本当に優秀な人の負担がより一層増加している。

何よりも、これらの評価を通して、大学の一層の序列化が進むことになると考えられる。そして、乗り遅れた大学の統廃合も(現在の金融機関のように)現実のものとなってくるであろう。政策立案側の考え方は、序列化でなく、「競争的環境のなかで個性が輝く」大学を目指すということであるが、ここで「受験生の大学選び」という観点に立つと、「個性」はあまり関係なくてやはり序列ということになるのではないか。

またこれからは、いろいろな意味での「大学評価」が重要になる。すでに各種の「評価」が始まっているわけであるが、大きな山場が、6年後の国立大学法人の「中期目標の達成の評価」の時期にやってくる。あまり大きな変化はないだろう、という考え方もあるが、予断は許されないのではないか。

国立大学法人が本気でいろいろな活動を始めると、私立大学はかなり厳しい競争に追い込まれるのではないだろうか。受験生の確保はともかくとしても、企業などとの共同研究、研究成果の社会への還元などに関して、政策による環境整備がなければ非常に苦しい状況になるのではないか。

最後に、「少子化」の大波の影響を考えねばならない。結果的には大学の整理統合ということにつながるのだろうが、経済活動がある程度維持されるならば問題は(社会人・高齢者を含めた)「就学人口の確保」という方向へ変質していくことも考えられる。

いずれにしても、今後ますます多種多様な問題にわれわれは賢く立ち向かわなければならない、ということは確かである。

受験生の大学選び

さて、以上のような「大学改革」の状況を踏まえて、受験生の立場に立って大学のことを考えてみよう。

まず言えることは、大学の明確な序列化によって、難関大学はますます難関になる、ということである。また、そうなると社会的な大学評価も定まるので、ますますエリートが選別されることになるのではないか。欧米の一部の国ではすでにそのような状況が現実のものとなっている。「誰でも大学で高等教育を」というのが日本的考え方であるが、いずれはそのような諸外国の状況にならって考え方を変えていかねばならないのではないか。
一方、難関大学が突出する中で多数の中堅大学が競い合う、という状況も現出するだろう。そのため、入試の方法も多様化し、そして少子化の流れとあいまって、特に選り好みしなければどこかの大学に入れる、ということになるだろう。受験勉強のスタイルが難関校と中堅校では大きく異なってくる、ということも考えられる。例えば、これまでの刻苦勉励・問題練習型の受験勉強でなくて、それぞれの傑出した個性に一層の磨きをかける勉強、など。

さて、なんとか大学に入ることができるという状況になると、(就職など)各人の社会評価の観点は、「どの大学に入ったか」というよりは「大学でどんなことを勉強したか、大学でいかに自分に磨きをかけたか」という観点にシフトしてくるだろう。現に、最近の就職難の状況では、面接でそのような質問が中心になってきているということである。大学に「入るまで」よりも、「入った後」の勉強(あるいは活動)の方が重要なのである。

このことを考えると、大学側としては、自分の大学のランクを下げないためにも、「勉強しない学生」になんとか勉強させることを考えなければならない。これまでのように「最近の学生はめっきり勉強しなくなった」などと嘆いているだけではおしまいである。またその勉強にしても、一律に高度な知識を伝達するだけでなく、個性を磨くことや自己の能力を発見させること、あるいは社会への適応性を養成することなど、多種多様な勉強を提供しなければならない。何か資格を取らせることも重要であろう。そしてこのような教育体制は、かなり非凡な能力の管理者でなければ思いも及ばないものである可能性もある。つまり、そのようなことができる大学はかなり限られてくるのではないだろうか。

そこで、これからの受験生(特に大多数の、中堅校志望の受験生)の大学選びにとって重要なポイントは、次のようなことになると考えられる。

それは、1にも2にも「面倒見の良い大学」を選ぶ、ということである。すなわち、勉強の嫌いな学生にも勉強させ、「キャリアプログラム」などを通じて自己の能力の開発を助け、「インターンシップ」などによって早くから社会性を培うこと、また学生の自主的なサークル活動などにも十分目の行き届いた教育プログラムであること、そういう大学を見付けなければならない、ということである。

大学院重点化された大学などは、学部教育へは十分に配慮が行き届かなくなる可能性がある。また、COEの獲得などは「研究」面の充実であり、かならずしも「教育」が恩恵を受けるわけではない。COEや、有名スポーツ選手の活躍など、大学のネームバリューを上げて就職に有利になる、ということはあまり本質的でなくなるかもしれない。また「面倒見」というのは、「特色GP」などの「特色ある教育」ともあまり関係のないことである。
いずれにしても、このような教育体制を確立するということはかなり難しいことであり、少数の人材がそれを左右するであろうこと、またこのような教育体制の充実というのはなかなか表面に現れてこないこと、などから考えて、「今後の受験関係者は、自分自身で高等教育の意味を十分に考え、またそのような目で大学の現状をつぶさに見て受験生のために大学選びができるようにならなければならない」と私は考える。

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