統一から多様性へ−現代は価値意識の変革が必要
教育について、もっと一般的には日本の文化の流れについて、何より考えねばならぬことは、自由と多様性の問題と思っている。今までは統一に価値があったのが、多様性へ価値意識をずらす時期と思うからである。学校の校長さんなどには、いまだに「全校一丸となって」だの「一致結束」だのを口にしたがる人が多いが、多様なものを管理できるのが本来の管理能力。権限も責任も校長にかかろうとしている時代だけに、管理の根本原理を考え直す時期だろう。
もちろんのことに、旧来の統一の価値を守りたがる人やら、多様性の価値を試みる人やら、いろいろあるのが多様性でもある。その双方があるのが現代。
このごろの学校では、変わった先生に出会うことが少なくなった。昔だって、それほど多くはなかったが、おもしろい先生はたいてい、戦後の混乱期に「デモシカ先生」と呼ばれた人たちだった。学校に比べると、塾や予備校の方が変わった先生が多いが、学生運動くずれを塾が吸収したことが関係していると思う。
京大にいたころ、学生の間で出身高校の話はあまり出ないのに、予備校の話だと盛り上がるのに気付いた。塾の先生になるのに教員免許はいらないし、雇用も学校に比べて不安定である。生徒にしても、予備校の卒業証書なんて役に立たない。そこにあるのは、実質だけ。このあたりは、制度的安定と文化的実質の多様性との関係として微妙なところだ。
別に浪人をすすめることもあるまい。それよりは、入学してから留年する方が、はるかに自由で可能性も増える。それにしても、世間では浪人や留年をマイナスに考えすぎると思う。大急ぎで学校制度を通過したぼくが言っても説得力がないかもしれぬが、これもまた、急いで進学するのもゆっくり進むのも、双方があるのが多様性というもの。
自由とは何かについては、それこそ多様な考えがあるだろうが、ぼくは何より多様性の保障と考えている。そして、現在の教育の課題としても、多様性の問題を第一義と考えている。 |