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中学・高校受験:学びネット

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2004/07 塾ジャーナルより一部抜粋

日本教育者セミナー姫路大会

2004年4月21日(水)・22日(木) / 於:ウェルサンピア姫路ゆめさき(兵庫県飾磨郡夢前町)
少子化時代、学習塾の経営は戦略が勝敗を左右する。
日本教育者セミナーは学習塾を中心に、私学・専門学校などの民間教育団体から構成され、年2回のセミナーを開催している。今回のセミナーでは、競争に勝ち抜く戦略を中心として講演が行われた。講師の方々より、深い洞察から生まれた企業戦略が語られ、参加者は熱心に耳を傾けた。
 

セミナーは2日間にわたって開催され、参加者は80名を超えた。第1日目はゲストによる講演。第2日目には書写山圓教寺住職・大樹孝啓氏の法話や圓教寺見学など、趣向を凝らしたプログラムが盛り込まれた。
第1日目は、日本教育者セミナー・岡村寛三郎理事長の挨拶により開始された。岡村理事長は「大阪クラブ」の名称で地域的にスタートしたセミナーが、全国から参加してもらえるまでに成長したと感謝した。
続けて講師の方々の紹介がなされた。

第1部は「資格の学校」として有名な株式会社TACの斎藤博明代表取締役社長。斎藤社長は1980年、29歳のときに起業。独自の戦略で次々とマーケットを拡大。現在は年商200億円、今年2月には東証1部に昇格した。

第2部は社団法人全国学習塾協会の常任理事であり、大阪府柏原市において俊英塾を構えている鳥枝義則代表。鳥枝代表は、業界全体の動向や大手学習塾との戦いについて講演。

第3部は、「普通の子を早慶に」をスローガンに、躍進する株式会社早稲田アカデミーの須野田誠代表取締役社長。早稲田アカデミーは「読売ウイークリー」2004年3月21号の「高校進学塾の合格力ランキング」において最多スコアを獲得し、首位に輝いている。

第1部「教育ベンチャー企業の成功戦略」

株式会社TAC 代表取締役社長 斎藤 博明氏

 少年時代の私は漫画家を目指し、毎日、デッサンの勉強と起承転結のストーリーづくりに励んでいました。この物語づくりの修行が、後に自分の会社をどうしていくのかという戦略づくりに役立つことになります。
大学3年の時に将来の夢を賭けて、渾身の大作を「小学館漫画大賞」に応募しました。しかし結果は、落選。漫画家を断念しました。将来について思い悩んだ私は、インド放浪の旅に出ました。大学入学当初より、自分が何者であるかを探りたいと座禅に打ち込み、釈迦にあこがれていたからです。

  ある日、灼熱のデカン高原で1人の年老いた男性が、牛の尻にムチを当てながら畑に潅水している光景に出会いました。私は日が暮れるまでその姿を目で追い続けました。頭に巻いたターバンは薄汚れ、赤茶けた皮膚には深い皺が刻み込まれていました。カースト制度の下、彼は幼い頃からずっと牛の尻を叩き続けてきたのでしょう。私は、職業選択に悩んでいる自分がいかに恵まれた境遇であるかに気付きました。どんな職業に就こうとも、自分にしかできない人生を歩むのだと心に固く誓ったのです。
大学4年になり、当時「地上最強の会社」と言われていた製鉄会社S社から内定を受けました。しかし、最終的に辞退しました。S社役員たちの、自分たちを1番偉いと言って憚らない、思い上がりを目の当たりにしたからです。世の中は良い時も悪い時もあるのに、今が良いからといってこれほど威張ってしまっては後がないと思いました。
日本の頂点にある会社ですらこの程度であれば、ほかも大差ないだろうと、普通の会社に就職することをやめました。
自分の人生を自分でつくるには、強さが必要です。私は公認会計士の資格をとろうと思い付きました。
何年間も苦しい受験勉強を続け、27歳の時にようやく合格を手にすることができました。
会計士試験に合格後は、監査法人に勤めるのがお決まりのルートです。しかし、それでは会社に勤めるのと変わりません。進路を模索する猶予期間が欲しかったので、会計士受験指導校の契約講師の職に就きました。そこで私はたちまちのうちに人気講師になりました。受験勉強で悪戦苦闘した経験が役に立ったのです。自分にしかできないことを探していた私は、学校を開いて生徒に教えようと、1980年にTACをたちあげました。

  当時、会計士を目指して勉強していた多くは社会人で、大学生はごく少数でした。私には、時代の流れが、組織の中の個人ではなく個人が個人として生きる方向へ進むという確信がありました。それに遊んでばかりで勉強しないと言われていた大学生も、実はまじめに勉強したいのだと感じていました。大学生に向けて「プロフェッショナルへの招待」と題したパンフレットをつくり、「会社に就職するのではなく専門家として生きよう」と生き方を前面に出してガイダンスしました。その結果、会計士を目指す大学生が増え、ついには社会人を上回るまでになりました。それはTACの生徒獲得シェアが飛躍的に高まったことも意味しています。
TACは初戦を圧倒的勝利で飾ることができました。しかし問題は第2戦です。多くの経営者は第2戦で敗退していきます。次のステップへの準備を整えている間に、勢いが落ちてしまうからです。初戦で急上昇した角度を保たなければなりません。
私は次の戦いを会計士のほぼ5倍規模である税理士受験市場に求めました。しかし税理士試験については全くの素人。社内からも反対の声が上がっていました。
試験対策の画期的商品を用意して、税理士講座を本格的に開講しました。しかし結果は、予定の3分の1以下の人数しか集まらず、惨敗でした。

 税理士講座は1年に1回、9月にしか開校しません。このままだと、赤字を1年間引きずっていくことになります。内部からは早く閉鎖してくれと責められました。しかし、ここでやめると二度と税理士市場に参入できなくなります。私は継続を決意しました。
しかし、「次の9月まで持ちこたえられるだろうか。来年も失敗したら、もうお終いだ」と、眠れぬ夜が続きました。そんな絶体絶命の状況に追い込まれながら、私は、いったい誰のための講座だろうと考え続けていました。言うまでもなく受講生、つまり顧客のためです。では、顧客とはいったい誰だろう。毎日考え続けて、やっとそのテーマにたどり着いたのです。
税理士講座の顧客は「多忙な社会人」でした。会社の仕事に追われながら、必死で講座に出席する人たちです。時には遅刻や欠席も仕方ありません。当時の学校は先生が威張っていて、休む者が悪いとされていました。しかし、顧客が誰であるかが明確になった時点で、むしろ休んだ分をカバーしなければならないと気付きました。
そこで講義を録音したテープを無料で貸し出す「テープレクチャー制度」を開始。さらに受講生が先生を自分で選べるようにしました。どちらも当時としては画期的なシステムでした。
翌年、このシステムをアピールして前年の3倍の人数を集めることができました。以降、税理士講座の生徒数は毎年伸び続け、大きく成長していきました。

 私は限界にたどり着いてからが本当の勝負だと考えています。諦めてしまうのはもったいないことです。本当に困ったときこそ、どこかに隠れている「窮通の道」を見つけられます。経営者は逃げることが許されません。最後の最後まで自分の持てる力を出し切っていただきたいと思います。

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