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2004/3 塾ジャーナルより一部抜粋

(悠々教育論 4) 教育改革の歴史と哲学

森 毅 (もり つよし)
京都の三高(現在の京都大学総合人間学部)から、東京大学理学部数学科を卒業。北海道大学理学部助手、京都大学教育部助教授を経て教授。1991年に定年退官。京都大学名誉教授。以後、フリーの評論家として、テレビ、ラジオや雑誌、新聞などで、文化・社会一般について批評活動。
著書約100冊:「ぼけとはモダニズムのこっちゃ」(青土社)・「自由を生きる」(東京新聞社)・「東大が倒産する日」(旺文社)・「社交主義でいこか」(青土社)・「ええかげん社交術」(角川書店)・「21世紀の歩き方」(青土社)などがある。
 

各時代のイデオロギーの破綻がもたらす教育改革

 教育改革ということで、学校で歴史や哲学をもっと大事にしましょう、なんてことが言われている。ところが、それを唱えている連中に、さっぱり歴史や哲学の見えないところが皮肉。いやべつに、アカデミックな歴史学者や哲学者に学ぼうと言っているわけではありません。それもいいけど、それ以上に普通に考えようというだけのこと。

 第3の改革なんて言われる。もちろん、第1と第2があってのこと。

 第1の改革は明治。江戸時代の徳川イデオロギーでやっていけぬから。もっとも、維新の革命で始まったというより、せいぜいが明治も20年代。

 文明開化の森有礼とか、国学や儒学の流れを受けた元田永孚とかの対立は教育史でわかるが、森はテロで倒れた。そこで富国強兵の国家政策で日本の近代学校教育が始まったということになっているが、そのころは「民から官へ」の流れにあったことを、当節の「官から民へ」の流れと比較するとおもしろい。JRやJTの歴史を学校の歴史と重ねるぐらいはやってもいいのになあ。

 江戸時代の日本は、塾が盛んで、寺子屋の発達で識字率が高かったことぐらい、司馬遼太郎に教えてもらわんでも常識だが、第1の改革が「塾から学校へ」だったことは心にとどめておいてよい。その後、ときたま、塾を統括することが説かれたり、個性的な塾が見直されたりするが、このごろの塾の隆盛が学校制度への塾の依存として成立していることは見逃せぬ。

 第2の改革はもちろん戦後。これも、大日本帝国のイデオロギーが破綻したから。そのころは、日本の未来を文化国家にすると言われていたが、文化と国家というものがそんなに単純に結び付いてよいのか。ちょっと文化史を眺めれば、戦前にあれほどに前衛的だった東欧文化が、戦後には国民英雄を作っただけだったことを参照してよい。戦後の教育史を、文部省と日教組の対立のように描くのは単純過ぎるし、せめて小熊英二の『<民主>と<愛国>』(新曜社)ぐらい眺めたほうがよいとは思うが、ぼくとしては、国家政策のイデオロギー対立になってしまったことに目をとめたい。特に、ベルリンの壁が崩れた現在、イデオロギー対立でしか見えないのでは、歴史とずれている。

第3の改革として教訓的な入試センターの成立は学生気質の転回点か

 さて第3の改革だが、これが言われたのは3度目である。最初は30年ほど前の中教審。学生叛乱のあとで秩序回復志向もあったが、復古では改革にならぬ。その時に問題になっていたのは、今の言葉で言うなら、IT教育と生涯学習。今にして思えば、なかなかいい線を突いていたなあ。

 IT教育については、万能のコンピュータが管理するのが主流。MITからパパートを呼んでシンポジウムをしたことがあったが、彼に言わせればそれは観光ガイド型であって、親切なガイドさんがマニュアルに従って案内する。これに対して、彼の主張はプレイランド型で、人それぞれに自分の楽しみを見付けられるようなコンピュートピア。当時こちらは、パパートとぼくだけの少数派だったが、今はどうだろうか。

 生涯学習は、いろんな世代の人間がそれぞれに学ぶので、初等中等教育中心の国家管理に反する。ITの方も、情報は拡散するのが当然。それで、国家管理志向の当時の文部省も内実は不賛成。文部省と日教組がイデオロギー的には対立しながらも、既得学校権益維持のために、中教審路線反対だったのは、典型的な55年体制で、今でもいろんな改革論議で見られます。郵政とか道路とかの改革と比較するのもおもしろい。

 そのころにあった事件で教訓的なのは、入試センターの成立。あれは、あらゆる政党、あらゆる新聞の社説が賛成したが、ぼくは反対だった。当時は、価値観の多様化が話題になっていたころで、その不安からの国家的統一価値への一元化が底流にあったろう。共通1次世代といったことが言われたが、確かにあの時代が学生気質の転回点のような気もする。それが、センター試験の影響というより、その時代を象徴して入試センターがあった。

また、大学入試の統一模試の官製版として、「民から官」路線でもあった。当時、地方ごとにあった高校入試用の民間テストが弾圧された流れとも一致する。ぼくの意見としては、入試センターは個性的民営で3種類ぐらい、市場原理で競合し、大学はそこから成績を買えばよいという意見。今の民間の統一模試は大学の入試の現状に依存し過ぎている。

臨教審の教育改革のテーマは教育自由化―哲学が必要

 さて、第3の教育改革が2度目に口にされたのは15年前の臨教審。こちらも、文部省も日教組も内実は反対だった。結局は、そこで生涯学習局が生まれた。案外に、文部省の方が日教組より柔軟に時代を読んでいるなと思ったものだ。もっとも、その路線を進んでいた連中は、リクルート事件に絡んで報復されたかに映るから、官僚の世界も大変なんでしょうなあ。そのときの教訓としては、論点はあいまい、ということは哲学が不在のままでイデオロギー用語で賛成とか反対とか言っていても、時代は動いて、15年もするとITとか生涯とかがいくらか「丸く」なって、自然になってしまうということ。それが歴史というものでしょうなあ。だから、哲学が必要なのですが。ともかく、放送大学や生涯学習が実質的に機能し始めたのが臨教審の時代でした。

 臨教審のテーマは教育自由化で、これも文部省と日教組がともに反対といった構図。このときも欠落していたのは、自由化の哲学。自由化は規制緩和の問題と関連している。競争原理が話題になったが、競争といっても、コース指導型の競争とコース規制緩和型の競争がある。どこを走ってもいいよ、そのかわりドブにはまっても知らないよ。こんなドブにはまるコースを決めたのは当局の責任と追及できないから、自己責任ではい上がる。ただし、いつでも救急車は用意しますよというのがセーフティネット。ドブに柵を作ることではない。

「学校から塾へ」の時代に求められるのは、塾の自立のための哲学

 それから15年たって、哲学はないけれど、今では自由化が前提で教育改革が言われている。指導要領や教科書の扱いについて、文部科学省の流れは、本音はともかく、規制緩和型の自由化に向かっているように思う。まして、規制の少ない塾にとっては、かなり自由に個性的な教育が可能になっている。時代は「塾から学校へ」ではなく、「学校から塾へ」の方向に進んでいるように思う。それだけにかえって、学校に寄生しない塾の自立のための哲学が求められているとも言えるが。

 それにしては、このごろの教育改革論議には、哲学なしの復古派イデオロギーしか聞こえてこない。なんとなく、抵抗派の族議員が集まって気勢をあげているみたいで、歴史の流れの見えないところがつまらない。生涯学習だってIT教育だって、また自由化と規制緩和だって、もう少しは考えることがあった。

 哲学なしに入試センターが作られたときの愚を繰り返すのはつまらない。あのときは、大学関係者はもちろんのこと、政党の議員さんや新聞の論説委員さんからも、安直に賛成してしまったことへの後悔を聞いたものだ。その責任を問うているのではない。改革を論ずるときは、歴史と哲学をもっと大事にしましょう、というだけのことです。

 
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