ハードな学力よりもソフトな学力をつける方が現実には有効
あまり昔話をしてもしゃあないから、ちょっと抽象化して、ハードな学力とソフトな学力と言うことにしよう。基礎学力なんてのは、ハードな学力の典型で、測定して目に見えやすい。ソフトな学力は、ハードな学力が不足していても何とかする力で、目に見えにくい。基礎学力ばかりが話題になるのが気に食わんのは、その故だろう。要求されがちなのはハードな学力だが、それとバランスする程度にはソフトな学力も考えてよい。
突如として現実的になるが、ぼくの体験からして、受験に役立つのはソフトな学力のような気がするのだ。
解き方を知ってる問題はまず出ない。それでも、知ってる問題を解いたときのことを利用して、何とかするよりない。英語だと、知らない単語が出てくるのは珍しくない。それでも何とか、意味をとらねばならぬ。試験でなくとも、日常に新聞や本を読むときだって、それをしている。こちらが、ソフトな学力。
その点でぼくは、今の受験勉強はハードに偏りすぎているような気がする。英語なら辞書なしで意味をとる訓練、数学なら見たこともない問題を考える訓練を、もちろん程度問題にしても、少しはしたほうが、受験本番にも役立つのじゃないか。
ついでに語学が苦手なことに居直って言うと、英語ばかりでなく、フランス語やドイツ語の本も見ないわけにはいかぬ。もっと苦手なのはロシア語で、これは文字まで違う。ぼくは発音も文法もええかげんだが、必要があれば辞書を引きながらでも読まぬわけにいかぬ。たまにだが、ポルトガル語とイタリア語に接したこともあるが、そのときは辞書もなかった。知人の文化人類学者には、百以上の国の言葉に接しているのがあるが、これはたぶん、ソフトな学力に頼っているのだろう。
別の知人の話だが、知らない単語が出てきたら辞書を引かずに意味を推量する、2度目にはそれを修正する、そして3度目には、辞書をひいて確認するのだそうだ。考えてみれば、日常に日本語でそれをやっている。
基礎学力がないというと、そのハードな学力をつけることばかり考えるが、ハードな学力なしで何とかするソフトな学力をつけるほうが現実には有効ではなかろうか。
もちろん、バランスの問題であるのは、言うまでもないが。
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