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2003/11 塾ジャーナルより一部抜粋

(悠々教育論 2) 客観主義と主観主義の間で −難しい問題づくり−

森 毅 (もり つよし)
京都の三高(現在の京都大学総合人間学部)から、東京大学理学部数学科を卒業。北海道大学理学部助手、京都大学教育部助教授を経て教授。1991年に定年退官。京都大学名誉教授。以後、フリーの評論家として、テレビ、ラジオや雑誌、新聞などで、文化・社会一般について批評活動。
著書約100冊:「ぼけとはモダニズムのこっちゃ」(青土社)・「自由を生きる」(東京新聞社)・「東大が倒産する日」(旺文社)・「社交主義でいこか」(青土社)・「ええかげん社交術」(角川書店)・「21世紀の歩き方」(青土社)などがある。
 

テスト問題は、客観性と主観性の間で揺れている

 テレビでクイズ番組に人気があるのに、学校でテストが嫌われるのは不思議。問題を考えるというのは人間本来の楽しみのはず。パズル雑誌なども人気がある。その問題に取り組む人間の方から見るか、答案を評価する人間の方から見るかで、違いが出る。

 京大にいた頃経験したのだが、入試でも学内テストでも、問題がよかった時は学生の反応もよい。解けなかったのに、「あれはいい問題ですね」などと感想を漏らしたりする。監督をしながら観察していても、問題を楽しんでいるのが感じ取れる学生がいる。これはよい学生なのだが、テストというのは客観主義だから、そこまで成績に反映させるわけにいかぬ。

 もっとも、テストとか問題とかが、最終目標になり過ぎるのもどうかと思う。学力ということでは、状況がよく理解できるようになるのが目標で、問題はそのための手段だろう。問題を考えることで賢くなる。成績はさしあたりの目安。

 だから、よい問題というのは、その問題に取り組むことで自分が賢くなって楽しいというのが条件だろう。しかし、そうした問題を作るのはとても難しいし、主観的になりやすい。だからテストの問題というものは、客観性と主観性との間で揺れている。入試センター試験のようなのがある一方で、小論文などが増えている。作文コンクールなどの審査をすることがあるが、採点する側の意見が一致することなどまずない。芥川賞の選評などを見ても同様。

京大は客観主義に距離を置く伝統を守ってほしい

 ぼくは旧制の時代だが、その頃はもっとおおらかだった。1948年の東大経済学部の
問題(その頃は、今の大学院入試のように学部学科ごとにやっていた)が「1848年について」だったし、新制になってからでも、京大の1951年の社会の問題にその頃の左翼の論争点の「コミンフォルム批判について」があった。今で言うなら、小論文のテーマが「君が代について」のようなもの。このテーマで野間宏と三島由紀夫が答案を書いたら、おそらく正反対の方向だろうが、どちらも合格させるだけの目が採点者に要求される。主観主義というのも厳しいものです。

 ぼくのよく知っているのは、京大入試の数学だが、数十人の数学者を1週間も動員できる大学はそんなにないから一般的とは言えまい。でも、1題が30分で30点を目安に考えたい。2時間半で6題の200点満点とは矛盾するようだが、満点なんてだれも期待していない。

 この10年は知らないし、ぼくが京大へ来る前もそんなに知らないが、有名人で言うなら河合雅雄とか山崎正和とか、ぼくの同世代の人間が、「正解でないのに成績がよかった」と言うのを直接聞いたから、客観主義に距離をおく伝統なのだろう。ぼくとしては、こうした文化を守ってほしい。

 競争者間の客観性から、1学部の1問題を一人が採点するのだが、転学部の問題もあるので、1日ぐらいかけて同じ問題の採点者間で議論をする。30点のうち、ここがあれば10点とか、この欠陥はマイナス5とか。「出題者の意向」は完全に無視。現物の答案が材料なのだから。説明不足の答案に、「要求されて説明できそうならマイナス5でなくマイナス2」となったこともある。これはもちろん、該当答案をもとにした議論で一致できたから。

自己採点の訓練で入試本番の答案を客観視する

 入試直前の勉強法を質問されたことがあるが、1日に30分で1題に集中して、正解までいかなくとも点のとれる答案、正解までいっても減点の少ない答案を書く訓練を勧めた。何時間やったところで、解いたことのある問題など出っこない。それよりは、30分の集中のペースをつかむことのほうが大事なはず。

 だから採点場は大激論の場。共通の基準メモは1枚ぐらいだが、個人基準メモを10枚も作っているのがいた。「正解が1つでない」のが問題不備として新聞に出たりするが、正解とか準正解とか、いろいろの段階のあるほうが自然。ただしそれは客観効率性と矛盾する。ぼくの作った問題で、4通りぐらいの解法を考えたのがあって、採点者以外には好評だったが、採点者がとても苦労したことがある。実際には20通り以上の解答が出てきたから。

 こんな複雑なのは、テレビには向かぬだろうが、ふだんのテストで自己採点の訓練は実戦の役に立つのではないか。テストをして採点をすませてから、採点基準を示して、答案なしで自分の点数を申告させる。5点程度の誤差で合っていれば、30点満点にボーナス10点をつける。たぶん、入試本番では自分の答案を客観化できるし、学力もつくと思う。

 10年ほど前だが、津田塾の数学科が採点ルポルタージュを公開していた。答案や採点の問題点の議論も。これは最良の情報開示と思ったが、京大では規模が大きすぎて無理だった。

純客観主義の「基礎学力テスト」では「ミツケ」方式の方が実戦的

 純客観主義は「基礎学力テスト」で、あれでは成績の点数ぐらいしか楽しみがない。それより、「ミツケ」方式のほうが実践的じゃないだろうか。例えば100題の計算を答案まで書いて、5つぐらい誤りをいれておいて間違い探しをさせる。一番速く1つ見つけたとか、一番たくさん見つけたとか。他のだれも気づかなかったのを見つけたとか、さまざまの価値があるのが楽しいし、実践では間違わないようにすることより、間違いを発見して直すことのようが大事なのだから。

 基礎学力ということでは、「正しく速く」が強調されすぎている。もちろん、直してばかりだといやになるし、いくらかのリズムが必要。ぼく自身は、計算は遅いしよくまちがったので、計算問題はなるべく2通りの方法で計算してチェックすることにしていたから、それなりのスピードも必要。しかし、正しさや速さは、それほどの意味はない。
 単純な計算などをやるのも、よいことだと思うが、それは何より、計算する対象や状況に慣れるためで、速さや正しさのようなものは試験場本番ではだめになる。ぼくは編物の経験がないが、編物をやってる人を見ていると、けっこう編んだりほどいたりしながらも、はまって楽しんでいる。あれでいいのだろう。

 ともかく、問題づくりは難しい。「広告批評」もどきで、「問題批評」なんて雑誌が出ないかな。「採点批評」まであったほうがよいが、今の情報開示状況では無理。

 
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