教育目標に沿った教えと
宗教教育を通じて
「なぜ学ぶのか」を考える
聖ヨゼフ学園は横浜市鶴見区の高台にある。正門には十字架と4枚の蝶の羽根や12羽のハトが描かれている。聖書「喜びの知らせ」からのものだという。実に印象深い。
中学校は1957年にニューヨークに本部を置くカトリックの男子修道会アトンメントのフランシスコ会が設立、3年後に高等学校を、小学校は1953年と早くに設立。同敷地内にあり、施設は共有する部分が多く、触れ合いも活発だ。
建学の精神は信(神を信じ)・望(神の約束の実現を希望し)・愛(神の愛ゆえに神を愛し、人々を愛する)と3つの力を掲げており、中高の教育目標には「よく学び努力する人、知恵のある人」「いのちを喜び、感謝と奉仕の心を持って生きる人」とある。
「本校では成績だけを重視するのではなく、どのように取り組んだかという姿勢など、努力することを高く評価します」と幸田ちづる教頭は話す。
カトリックの教えの下、聖ヨゼフ学園の根幹となるのが、宗教教育である。中でも、毎年外部から司祭やシスターを招いて行われる修養会は、講話や作業、ミサなどを通じて自分自身を見つめ、「どのように生きるか」ということを考えさせる一日となっている。テーマは生徒の発達段階に応じたもので、中1では「かけがえのないわたし」、高1では「わたしにできること」などだ。ミサが終わると生徒は「修養会ノート」に感想を書き込み、6年間でノートを完成させる。
幸田教頭は、生徒の成長過程を話す。「困難な場面に出会ったとき、生徒は祈ると思います。『神様、私にとって一番良い道を示してください』。受験で失敗しても、『この不合格は私にとって意味がある』と」。さまざまな問題・事象を他人ごとにせず、自らの課題として捉えているのだ。
今年から母校で教壇に立つ卒業生に会った。「本当に嬉しくて。この場にいることに感謝します」と。いつでもこのように言えること、これがこの学校の目指している一つの姿なのかもしれない。
一人ひとりの特性に応じて指導
ユニークな英語授業も実施
中1から高1までは自己の土台作りとして、徹底して基礎基本を身に付ける。中1、2年生では、小テストが繰り返し実施され、特に英・数においては、定着するまでの合格基準が100点と厳しい設定だ。
「1学年80人という小規模校の強みでしょう。先生方は一人ひとりの特性を把握し、きめ細かな指導で、生徒の学習を深めさせています」
高2からは自己の能力を十分に引き出すために、進路に必要な科目を選択できるようにしている。多様な学部学科の進学を可能にするためだ。
「希望する大学の分野は多岐にわたっています。人文・社会・自然・芸術など。文系の大学を希望しているのに、選択では理系科目を取る生徒もいます」
過去においては、世の中からみれば非効率と思われる「ひとり授業」も成立させている。生徒の個性・能力は、違って当たり前という先生方の認識だ。
英語の授業はユニークだ。そもそも初代校長の勝野巌神父の時代に遡る。勝野神父はアメリカ・カナダで生活をしていた経験から、英語の重要性を身にしみて感じたという。よって、学園の創立時から特に英語に力を入れた。
「今の中1は、50分授業の中で30回は生徒にしゃべらせます。参加型の授業です」
高校でも勝野神父の意思を引き継ぎ、自分の考えを英語で自由に伝える、相手の考えを理解することをねらいとするしかけが、いろいろと用意されている。
そのひとつが「イングリッシュ・ランチ」(希望制)。ネイティブの先生と昼食を取りながら、英語だけで過ごすという内容だ。
「LL教室で実施していますが、毎回、楽しそうに日常のことを話しています。将来、留学したいという生徒もいます」 |
入試後の手厚いフォロー
学校見学30校目にして選ばれた
同校では3年前から入試の合格発表後、手厚いフォローをしている。合格に達しない生徒を対象に、入試問題に対する簡単なアドバイスをしているのだ。
「緊張の中、無我夢中で試験に取り組んだ受験生もいます。国語の答案用紙を見ると、いっぱい消した後があるんです。本当に思い悩んだ様子がわかります」
こういう場合は「消さずに残しておこうね」と声をかける。算数には効果があり、少しのことで勘違いに気が付き、2回目の受験でしっかりと合格基準をクリアする。
「入試だけでなく、こういうことは普段から生徒に対してもやっています」
聖ヨゼフ学園では、午前入試にこだわり、午後入試はしない。
「小6生に午前も午後も入試をさせるのは本意ではありません。生徒を人間として育てる場所であれば、試験であってもそれは同じです」と幸田教頭は語気を強める。
今年入学した中1生の保護者は、「学校見学30校目にして、やっと“ここだ”という学校に出会えました」。専願入学した生徒は「小3からオープンキャンパスに20回以上参加しました」と話す。
この強さは何かと考えたとき、時代の流行や数字にのみ込まれることなく、「正しいことは正しい」と言える揺るぎない姿勢にあるということにたどり着いた。記者は学校教育の本質を見た思いだ。
今日もバスで通う生徒たち。通学路では、小学生の後輩たちを気遣う中・高生の姿が目に付く。あいさつは「ごきげんよう!」。ふさわしい言葉だ。
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