駒込普通科の誕生
目標は早慶30人の合格
今年度の駒込高等学校の偏差値はスーパーアドバンス69、アドバンスA67、アドバンスB60と軒並み上位に食い込んだ。その結果、4月からは中・高ともに「アドバンス・特進・一般」のコース分けを廃止し、アドバンス一本に統一した。
河合校長の第一声は「駒込が普通科になりました。3教科入試で、オール5という生徒や上位層が多く入学してくれましたので、レベル別にすることはなくなったのです。普通科ではインパクトがないので、アドバンスというネーミングのみ残しました」とは何ともうらやましい話だ。
ただ、アドバンスはアドS(国公立、早慶)、アドA(MARCH)、アドB(中堅私大上位校)と目的別に設定している。さらに中長期改革では、“強い進学体制の確立に向けて”という学校長の指針が発表された。
「ある意味すべり止めという位置付けから、都立の日比谷、新宿といったトップ校と戦う私学になるためには、偏差値70台が必要です。今後3年間をめどにMARCH三ケタ、早慶30人合格という目標を掲げました」。進学校参入への宣言である。
進学実績向上への校長の考えは緻密である。中でも、以下の4要素の改革は避けて通れないという。@組織の機能的な仕組みの改善。A教員の指導力(スキル)の向上。Bカリキュラム教材(ツール)の開発。C学力到達目標の確立。
まもなく現在の職員室は、学年単位から教科単位の職員室へと改善される。教科単位でシラバスをチェックし、常に教科の進度を確認し合う。教員間のスキルの格差を解消するためであり、同僚間評価にもつながっている。加えて、生徒たちの授業への達成感。「進学実績を出す授業とは、クラスのトップ2割が満足できる授業です。決して、民主主義的手法の授業が進学に強い授業ではない」と河合校長は強調する。
倫理観に支えられた教員集団を
教師の管理者は生徒
今や、駒込の生活指導型の学校スタイルには限界がきていて、過渡期だと校長は言う。
すでに学内改革に取り組んでいるとはいえ、システムだけを構築しても、それは絵に描いた餅というもの。そこには教員が納得し、生きがいを感じること、そして最も重要なのは、教科指導の中で、教師の聖職者的気質を誕生させることができるかにある。
「教職とは総合職のようなものです。時間単科×8時間労働という仕事ではない。かといって民間のように成果主義でもない。そうすると総合職の中で倫理観に支えられた教員集団を作るしかないのです」
一方、教員のプライドが高くて、独善的志向が強くなることも事実である。教科間や他教科間とのすり合わせが十分でなく、生徒の学力が全教科共通して伸びることは、極めて難しくなる。これまでの単科至上主義では、頭打ちとなるのは明らかだ。教科の枠を超えたスキルの共有化が、強く求められているのが現状である。
しかしながら、校長の戦略は、あくまでも教師たちの聖職者という倫理観に焦点をあてる。朝礼のたびに生徒に話すことがある。「うちの先生方は、あなたたちの要望には必ず応えてくれます。予備校に通えないので、勉強をみてくださいと言えば、嫌だと言う先生は一人もいません」。
生徒の熱い思いが先生を動かし、朝の学習、夜の講習、教材研究と雨後の筍のように講義の場が広がっている。中には、難関大に進学した教え子にチューターを頼み、夏期講習を実施した先生もいる。いつの間にか聖職者集団が形成され、そこに参加した生徒には先生への感謝の気持ちが生まれ、自ら勉強に励むという。 |
校長曰く「管理とは自分の最大能力を出すために、何が必要かといったことを自分に課すことが管理。自分が最大能力を引き出すための管理は、自分が携わっているもの(生徒)から受ける要求に応えることです。先生にとっての最大の管理者は生徒なんです」。
すべての人に手を差し伸べる
駒込の学校改革は慈悲にあり
取材は朝9時に校長室でスタートした。壁横の黒板には、いつになく授業の形跡が。聞くと、校長室にしか来られない生徒の授業をしていたという。
「不登校生ですが、やっと校長室で授業を受けることができるようになったのです。担任がこういうことをするとヒイキと見なされる。校長という法治の外にいて、絶対的権力の中だからできることです」
同校では、これまでの経験則にとらわれない、進学実績の出せる「指導体制作り」を進めている。管理職が孤軍奮闘する形から、教師一人ひとりの役割を明確にした「プロジェクトチーム型」の組織編制にした。
とはいえ、前述のように校長自ら授業をするということを鑑みれば、“らしさ”があるなと感じる。校長は言う。
「虚弱な子どもほど、母の心を占める」という。「勉強のできない子どもほど、教員のこころを占める」という学校があってもいいのではないかと。“駒込らしさ”とは何かと問うと、「学校改革の中に『感謝』が生まれなければ、我々の学校改革ではない」と断言する。そこに携わった教員、生徒、保護者、ここで働く用務員、ご縁のあった人たちが本校に「慈悲」を感じなければ、理念体の私学・駒込ではないと言葉を残した。
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