実業高校から進学校へ
定員増の「理数科」人気
高度(経済)成長期の産業社会の要請に応え、1963年、実業高校として創立された静岡県自動車工業高等学校は、1982年、大学進学を希望する生徒の増加により、普通科を新設。校名も静岡北高等学校と改称した。それから20年余り、国公立大学への進学者が徐々に増え始め、2007年度には68人を数えるまでになり、一気に注目を集めるようになった。
昨年度は景気の影響を受け、地元大学への進学志向が強まる中、首都圏や県外の大学への受験者は減少したものの、国公立大合格者数は55人と健闘し、進学実績の安定を見せている。また、学校全体の大学受験者に占める現役合格率は、一昨年が99%、昨年は98.6%と極めて高いことも注目に値する。
こうした実績により、進学校としての認識が地元で定着し始めたようで、それを裏付けるように、今年度から定員を40名から90名に増員した「理数科」では、102人が入学するという人気ぶりだ。広報を担当する要知幸教諭によると、近隣の中学校からの入学者が、例年に比べ倍増したことと、中学成績上位の単願受験者に加え、県公立の進学トップ校との併願受験者が増加したことが、昨春の入試の特徴という。
もっとも進学実績だけに限らず、同校が地域との交流を目的として開催してきた「親子サイエンス教室」、「キッズ英会話教室」、「パソコン教室」が好評であったことも学校の知名度を上げ、ひいては好調な入試へと導いた一因と言えるだろう。併せて要教諭は、「最近は兄姉が卒業生という、いわゆる弟妹間リピーターの入学も出始めた」と喜ぶ。
さて、進学実績の伸びに対し、起爆剤としての役割を果たしたのは、何と言っても3年前の文部科学省の※SSH(Super Science High School)指定が大きかったといえる。それまでも地元巴川の水質調査など、理系分野を中心に、独自の研究授業で強みを発揮してきた同校は、SSHの指定を契機にいっそう課題研究に力を入れるようになった。まさにSSH指定により、特色化に成功した学校といえるだろう。
来春は、SSH指定後に設置された「理数科T類SSクラス」の1期生が卒業を迎える年で、要教諭は「期待できる」と自信をのぞかせる。同校の取り組みを知る全国の難関私大(早稲田・慶應)から、指定校推薦枠を新たに設けると申し出る大学も少なくないという。
※SSHは高い科学技術能力をもった人材の育成を目指し、文部科学省が理数教育に重点をおいた研究開発を行う高校に補助金を交付し、研究教育を支援するもの。
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高大連携で描く 10年後の自分
SSHの指定で盛んに行われるようになった課題研究だが、「理数科」だけでなく、「国際コミュニケーション科」、「普通科」の各科において複数のテーマを設け、さまざまな観点から広く深く研究が行われている。研究を通して、将来の進路を考えるきっかけにもなり、キャリア教育的側面も持った取り組みといえる。
課題研究は高2で取り組むが、前年までに積み重ねられた研究成果を引き継ぎ、さらに深く研究する生徒もいれば、そこからヒントを得て、別の研究テーマを見つける生徒もいる。いずれにせよ、仮説を立て、実験と考察を繰り返し、最終的に研究結果をまとめるという一連の流れは、自発的態度や情報発信力を磨く上でも大きな成果をもたらしている。
研究では静岡大学、静岡県立大学、静岡理工科大学など高大連携を密にする大学の研究施設や専門設備を使えることで、生徒は大学研究室の空気をも実体験している。そこで10年後、20年後の自分の姿を描くようになれば、そのことが新たなモチベーションとなって、より探究心がかき立てられるというスパイラルを生んでいる。
なかでも「理数科」の「T類SSクラス」に在籍する約30人の生徒は、放課後、日常的に大学の研究室に通うため、大学教授や研究者とのディスカッションを行うことに慣れていく。また、夏休みには海外での交流会に参加したり、全国のSSH指定校の高校生とも交流が盛んで、こうした環境が、入学当時には話すことが得意でなかった生徒に見違えるようにプレゼンテーション能力を身に付けさせているという。
生徒にとってはいいことずくめの取り組みだが、これを支える教諭陣の努力は並大抵ではない。日々の授業に対する準備は無論、毎年まとめるSSHの研究開発報告書や海外研修報告書は、時には150ページを超すボリュームにもおよぶ。SSH推進担当の教諭は、毎日のように夜中まで準備やまとめに追われているという。今後、SSH指定校の期限が切れた後も、同校は再申請を行い、同様の取り組みを続けていく考え。そのためにはSSH推進のためのいっそうの体制づくりが必要となる。優れた科学者を世界に送り出すという使命感なくして続けることは困難だ。「公立志向が強い静岡県で、保護者は私学に通わせている。その負担に対する付加価値を付ける責任を感じている」という要教諭の一言に、取り組みへの原動力が表れていた。
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